●比較法 ひかくほう
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種々の法秩序を,それぞれの精神と様式において関連づけること,あるいは種々の法秩序における比較可能な法制度ないし比較可能な問題解決を関連づけること。比較法という言葉は多義であるが,比較法制史・民族法学(多数の国家または民族の法制度を比較して,法の発展における法則を発見しようとする),比較法哲学(現代の,文明社会に共通な法の一般原則を発見しようとする),比較法学(立法や法の解釈のために各国の法制を比較研究する)の三つに大別されよう。一般に比較法という場合は,三つめの比較法学をさすことが多い。なお,比較法制史・民族法学においてはコーラー・ウェスターマーク,比較哲学においてはル=フュール・デル=ヴェッキオ,比較法学においてはサレーユ・ランベールなどが,その名を知られている。なお,一国内の数個の法秩序(アメリカ諸州の法など)を比較する内的比較法と,種々の主権国家の法秩序を比較する外的比較法とに分ける区分もある。比較法学のサレーユやランベールが,比較法学は独立している科学であるという考え方(比較法普遍主義)をとっているのに対し,ガッタリッジやダヴィドなどは,比較法学は独立の科学ではなく,単なる法学研究の方法・技術にすぎないという批判(比較法方法主義)があり,これは現在に至っている。
比較法学は,法律学のなかでは最も新しい学問の一つである。古代の外国法探究のなかに,その発端をみることもできないではないが,今日,一般に考えられている比較法学は,19世紀後半以降の産物とするほうが妥当である。
比較法学の歴史を見ていくと,イギリスでは,メーンの『古代法』(1861)に見られるように,比較法史学として発達し,メートランドやヴィノグラドフの業績がそれにつづいている。実際の研究が最も進んでいたのはフランスで,1869年にすでに比較立法協会が設立されている。先のイギリスにおいても,1894年にはロンドン大学に比較法講座,1895年にはイギリス比較立法協会が設けられた。フランスでは,ことに今世紀になってから,サレーユ・ランベールらの活躍がめざましく,普遍主義的比較法学が,飛躍的な発展をとげた。1900年には,サレーユの提唱により,パリで比較法国際会議が開催されたが,この会議は,比較法の発展を考える際,とくに注目すべきもので,これによって比較法の発展は強く促された。このサレーユとランベールの理論を受け継いだ,レヴィ=ユルマンは,1931年に比較法研究所を設立した。第二次世界大戦後は,ダヴィドが,フランス比較法の指導者であった。一方,アメリカでは,各州で法が異なるために,その異同の研究に重点がおかれてきたこともあって,外国法の比較研究は盛んとはいえない状況だったが,第二次世界大戦後から急激な発展をとげている。ラインシュタイン・エレンツワイク・シュレージンガーなど,ドイツ系の学者がその巧労者である。
日本においては,明治初年以来外国法研究のほうは活発に行われてきたが,比較法は,戦前はほとんど研究されなかった。
次に,比較法の抱える問題だが,比較法学は,従来,ともに資本主義法である大陸法と英米法を主として研究対象としてきたが,最近では,社会主義法,アジア・アフリカ諸国の法なども対象として考えるようになってきている。日本の比較法学会(1950年創立)でも,1967年の総会において,この問題がとりあげられ,論争された。
いずれにせよ,比較法の重要性は近来ますます認識されてきており,これに関する学会・研究所などの研究機関も,しだいに増加してきている。まだ,比較法に関する諸種の国際会議も盛んに開催されるようになっており,比較法の隆盛は,現在の法律学の,きわめて顕著な特色であるといえよう。なお,比較法といった場合,単に法規範に限られず,判例・学説・取引の慣例・習俗ほか,その国民の法生活を形成している種々の要素がとりあげられる。