●比較文化 ひかくぶんか
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文化・文明を基本単位にして人間世界の豊かな生動をとらえようとする学問。あるいは,諸文化・文明の固有性・多様性・相互関係を足場にして人間と世界の諸真理をとらえようとする学問,といいかえてもよい。この場合,次のような基本認識が前提にある。[1]人間世界・人類世界は,個人・家族・社会・国家・民族などを単位としても成り立っているが,個人や家族は人類世界の全体をとらえるためには単位として小さすぎ,国家や民族も,民族主義や国民国家主義の旺盛な時代ならともかく,今日のようにむしろブロック経済・ブロック政治が志向される時代にあっては,これまた十分な単位ではありえず,加えてこれらの事象についてはすでに心理学・社会学・政治学・民族学などの学問がある。これらの既存の学問が必ずしも十分に明らかにしなかった人間世界の諸事象・諸側面,とりわけその全体的なダイナミズムと多様性をとらえるには,文化・文明を単位とするほうがより適切であろう,それを通して人間世界の全体を見直すことが必要である。[2]たしかに,文化・文明という概念はややあいまい・多義的であり,物理学や生物学の基本単位である微粒子や遺伝子のように単一のものでも一義的なものでもない。しかし,だからといって,文化・文明は学的認識の単位たりえないということにはならない。われわれは,日本文化,ヨーロッパ文化・文明,フランス文化,ミクロネシア文化,メソポタミア文明などといういいまわしを日ごろから用いているし,その場合,文化・文明とは一定の人間集団が共有している生活様式や物の考え方,またそれの所産である一定の公共的な性格をもった作品群であることを,ほとんど自明のこととして了解している。人間世界というもともと複雑で流動的な世界を理解するには,自然科学におけるような単純・一義的・抽象的な要素からではなく,このような複合的で柔軟・具体的なものの共通了解から出発することもやむをえないことであり,むしろそのほうが人間事象の解明にはより適切とすらいえるであろう。[3]さて,もしそうだとすると,あるいはそのような観点から人間世界をみるとすると,人類世界は当然のことながら複数の多様な諸文化・文明から成り立っているといわなければならないことになる。かつて,人々は,自分の文化・文明の内側で,あるいは内側から,人間的諸真理を求めていたので,自分の文化・文明の外なる諸文化・文明に目をむける必要をあまり感じなかった。文化・文明というものが学的認識の単位にならなかったのもまた文化・文明というものが人々にとってあまりはっきりとしたイメージを提供するものでなかったのも,そのためである。しかし,交通機関や情報機構の発達によって,諸国民,諸文化・文明の相互関係がきわめて密接なものになった今日,われわれは否応なく自分の文化・文明の外なる諸文化・文明にかかわらざるをえなくなってきた。そして,その場合,人間の叡智は,それら諸文化・文明を正確に認識し,それらとのあいだにしかるべき距離と関係を保つために,ちょうど日ごろの人間関係の場合と同じく,一定の方策をとるであろう。すなわち,自分自身の文化・文明を超え,その上から自分自身とそれら諸文化・文明,つまり世界全体を眺め,そこに得られる座標系によって,思考し行動するという方策を,いまや人々は,自分自身の文化・文明の内なる諸事象とともに,あるいはそれ以上に,自分自身の文化・文明を含む複雑・多様な諸文化・文明が,そのおのおのの個性的な相貌をくっきりと浮かび上がらせつつ人類世界を形造っている,その豊麗と活気に満ちた光景を目のあたりにすることになる。[4]加えて,注意すべきは,諸文化・文明のおのおのの個性的な相貌をしっかりと認識するには,それら相互のあいだの対比考察が不可欠だということである。もともと,AなるものがAとして認識されるのは,Aと異なるB, C, D…との相関関係においてでしかない。諸文化・文明の総体からなる人間世界を,その光彩陸離たる多様と生動においてとらえるとは,それゆえもともと比較文化的にとらえるということにほかならない。今日,人間にとって唯一正当な認識と行為とは,世界全体のなかに自己を位置づけつつ,世界全体との連関のなかでなされるそれであろうが,われわれに許された唯一正当な生き方・存在様式そのものが,したがってすでに比較文化的思惟を条件にして可能になっているともいい添えておかなければならない。[5]比較文化とは,かくて,諸文化・文明の相互依存が密になった現代世界の状況を踏まえて,諸文化・文明の総体からなる世界の豊かな生動を学的に認識し,それを通じて人間と世界諸真理へと新たにアプローチしようとする学問であるが,実のところ,かつての歴史物語や19世紀ごろから確立された学問としての歴史学も,自然科学のもたらす抽象的で単純化された世界像に抗して,人間世界の豊饒な具体性を活写することを目的としていた。しかし,比較文化からみた場合,歴史学の限界は次の点にある。(a)事象を時間的な前後関係において,つまり通時的パースペクティブにおいてとらえることに専念し,共時的な地平を十分に考量しない。(b)多くの場合,自国・自民族・自文化の発展の叙述と解明に専念し,他国・他民族・他文化やそれらとの関係を等閑視するか価値的に低いものとみなす傾向にある。(c)その原理の一つである文献実証主義も示すように,歴史社会と歴史以前・非歴史的な社会を分け,文献のない古代・未開社会についての研究は問題外とするか,少なくとも閑却する傾向にある。要するに,歴史学は,その成果にもかかわらず,一定の偏向をもって人類世界を組み立てるにとどまり,十全・公平な目配りに欠ける。これに対し,比較文化は,(a)通時的パースペクティブも軽視はしないが,共時的パースペクティブをより包摂的として前者をこれに組み込み,(b)一国民史,一文明史に限らず,人類発生以来の広大な時-空的・歴史-地理的地平において,すべての文化・文明を等価的に取り上げることを旨とし,(c)これによって人類世界の全体像をその本来の姿において回復しようとする。問題領域の拡大ゆえに,学問的精確さをめぐって疑問を感じさせる場合もないではないが,主題はそのつど方法的に限定することができるし,それは別としても,コンピュータ操作そのほか,学問世界における情報処理方法の画期的な進歩をみた今日の状況からすれば,問題領域のこの拡大はあながち不条理とはいえないはずである。比較文化は,現代的状況を踏まえて,歴史学の限界を自覚的に乗り超えようとする努力であるといってもよいであろう。[6]もっとも,補完的に強調しておけば,人類世界の豊かな生動をとらえることを第1の目的とする比較文化は,方法やアプローチに関してはかなり柔軟な幅をみせ,けっしてつねに文化・文明を主題的に取り上げることを強要するものではない。世界が諸文化・文明の生き生きとした共存と交流・葛藤から成り立っていることを前提とする限り,むしろ逆に,それを背景にして,個々の文化・文明事象や文化・文明作品を主題的に研究することも,十分認容される。たとえば,夏目漱石の1作品は,人間の真実をえぐるものとして直裁に読むこともできれば,文学作品としての完成度から文学美学的に研究することも,日本文学史や明治文学史のなかでそれが果たした役割から歴史的に評価することもできるが,同時にまた,日本的伝統の真只中にあって漢学の教養をも身につけた一人の知識人が,自国の文化的大転換のなかでヨーロッパ文化と格闘しつつ新しい文化価値をつくりあげていく,その努力の結晶として,諸文化・文明の出会いと葛藤のドラマの真只中でとらえ直すこともできよう。どのような小さな文化・文明事象のなかにも,世界的・人類的な広がりをもった諸文化・文明のドラマを聴きとり,いわば個のなかに全を見出すとともに,全のなかに個を位置づけ,一のなかに多へのひろがりを直覚するとともに,多のなかでこそその一を把握し,かくて人間的営為の本質と展開を,それにふさわしい重層的な意味ニュアンスにおいて学的に確定していくことが,比較文化の目的であるといってもよい。【比較文化の成立と歴史】このような性格の学問である比較文化は,第一・二次世界大戦前後のヨーロッパにおいて大きくクローズアップされるにいたった。ヨーロッパは過去数百年のあいだ,人類世界の全体を見渡すことのできる唯一の知性をなしていたが,その世界観はヨーロッパ文明を至高とし,その先駆をギリシア・ローマ文明に見,東洋文明はその前段階とするヨーロッパ中心主義的な一元論的発展史観であった。だが,第一・二次世界大戦による打撃はこの独善を終息させ,シュペングラーやトインビーはヨーロッパ文明とギリシア・ローマ文明をおのおの別個の,独立の,同等の価値をもった二つの文明圏として対比考察しつつ,前者における諸々の事象の意味を後者への参照において解釈するにつとめ,M.ウェーバーは世界諸文明とくに東洋諸文明との対比において,ヨーロッパ近代文明の普遍性ならぬ独自性・特殊性を浮かび上がらせ,いずれも比較史的考察がそれまでの歴史学・歴史哲学の陥穽を超えるものであることを証明し,比較文化の飛躍的発展の基礎を築いた。しかし,実際には,比較文化はこのときはじめて成立した新しい学問なのではなく,そもそも学問の歴史のはじめから,とりわけアリストテレス・ヘロドトス・プルタルコス・タキトゥス・イブン=ハルドゥーン・モンテスキュー・ヴォルテール・ヘルダー・ヘーゲルなどの業績を通じて連綿と展開してきたのであり,それが先述した20世紀的状況のなかで大きく開花したものにほかならない。
【比較文化と教育システム】比較文化が,その長い歴史にもかかわらず,今日における時代状況ゆえに飛躍的に発展したとすれば,それが単に1個の学問分野としてのみならず,それ以上に,現代から未来にわたる世界を担う青少年たちの育成のためにこそ資さるべきものと解されたのも当然であろう。実際,世界諸国においても,わが国においても,比較文化とはむしろまず教育システムの一環として推進されたものであった。この限りでの比較文化は,専門的に厳密な手続きにわずらわされることなく,今日・今後のこの国際社会においてしかるべき認識と行為をなしていくにはどうすればよいか,それを可能にする正しい知見と心構えを授けるシステムであると,より一般的に解しておけば十分である。
【比較文化と他の諸学問との関係】学問としての比較文化は,文化・文明を基本カテゴリーとして人間と世界の諸問題を扱う学問であるから,いわゆる人文・社会科学と相似た性格の学問であり,いうならば新しい時代状況を踏まえて,既存の人文・社会科学を補完するものであるか,あるいはそれにとって代わるものとみることができる。いわゆる人文・社会科学は,宗教・倫理・芸術・教育・政治・経済・社会・文学・歴史・言語など,文化・文明を構成する内的諸領域をおのおの独立に扱う傾向にあったが,この学問分類も多分にヨーロッパ近代社会を基盤にしてなされたものであり,ヨーロッパ外世界の諸事象を論ずるに十分なものではない。それゆえ,一方では諸領域のあいだにまたがる事象を扱う学際研究の必要性が提唱されると同時に,他方では,先述の諸領域がそこから切り取られてきた元の一体性としての文化・文明全体に立ち戻って,本来的な人間現実から改めて再出発しようという姿勢が示されるようになってきた。後者を文化学・文明学と呼ぶとすれば,その内訳はほぼ次のようになろう。すなわち,[1]文化・文明を原理的な観点から思弁的に考察する哲学的文化学,と,[2]現象的レベルに焦点を合わせて実証的に研究する科学的文化学。そして,[2]のなかに,(a)文化人類学・文化社会学・文化地理学など,諸文化・文明の実証的研究を踏まえつつも,そこから文化・文明一般の本質を明らかにしていく一般文化学,と,(b)文化・文明一般の本質よりも,むしろ諸文化・諸文明の固有性・多様性・相互関係などをさまざまな方法で追究していく比較文化学。いわゆる地域文化学は,その地域文化の独自の個性を把握しようとする限りほかの諸地域文化との対比考察を前提とするから,この比較文化学の一部であり,また既存の人文・社会諸科学は,文化・文明の内部の各領域を扱う学問とみることができるから,ここでの科学的文化学,あるいは一般文化学・比較文化学の下位分類をなすものといえよう。比較宗教学・比較芸術学・比較文学……など,いわゆる比較諸学についても同様である。
【比較文化が扱う諸問題】比較文化は諸文化・諸文明の多様性と相互連関に着目して人類世界と人間の諸真理を追究するが,実際の研究にあたっては,問題の扱い方にいくつかの型がある。まず,[1]諸文化・諸文明の事実上の接触・交流・葛藤を踏まえて,おのおのの文化・文明の動的な生態,そのなかに生きる人々の在りよう,そこから生まれてくる諸々の文化作品,さらには世界もしくはその一部のダイナミズムなどを明らかにしようとする交流論的研究。例をいくつかあげれば,トインビー『歴史の研究』(1934〜54)・イェーガー『パイデイア』(1934〜44)・各種のシルクロード研究・サンソム『西欧世界と日本』(1950)・和辻哲郎『鎖国』(1950)など。最近のわが国では比較文学や美術史の分野からの明治研究に,この部門での秀作が多い。次に,[2]事実上の接触・交流・葛藤を必ずしも前提とせず,事実上の接触・交流・葛藤のない諸文化・諸文明も含めて,それらを相互に対比しつつ,おのおのの文化・文明の特色・範囲・盛衰過程などを,ただし必ずしもおのおのの文化・文明の全体を主題化する必要はなく,個々の文化作品,思想・観念,作家・思想家,時代,制度,習俗・風習などに焦点を絞ってもよいが,いずれにしても対比的に比較検討しつつ,諸文化・諸文明の相互の差異性と同一性を浮き彫りにしていく対比論的研究。トインビーの業績はここにも入るが,さらにシュペングラー『西欧の没落』(1918〜22)・M.ウェーバー『世界宗教の経済倫理−比較宗教社会学的研究』(1920)・ノースロップ『東洋と西洋の邂逅』(1946),西田幾多郎「形而上学的立場より見た東西古代の文化形態」(1934,これは小論文だが,思想内容は西田哲学の全体にかかわる)・和辻哲郎『風土』(1935)など。さらに,[3]人類世界全体に目配りしながら,そこから一定の同一・共通の問題が,諸文化・諸文明によって別の形態をとりながら,浮び上がってくることを見定めようとする総観論的研究。トインビーの業績のほか,A.ウェーバー『文化社会学としての文化史』(1935)・ヤスパース『歴史の起源と目標』(1949)・マルロー『空想美術館』(1941)・『神々の変貌』(1957〜76)など。なお,[1]は旧来の歴史学やその1部門をなす文化交流史でも扱っていた問題であるが,歴史学が各国史に重点を置いて他国との接触・交流をむしろ付帯的問題として扱い,文化交流史が個々の交流現象の研究に問題を限定する傾向があったのに対し,比較文化学の交流論的研究は,独自の固有性をもった複数の文化・文明の厳然たる存在を前提にしつつ,それらのあいだになされる接触・交流・葛藤を,おのおのの文化・文明の全体的命運にかかわる重要な問題として,自覚的に主題化することに特色がある。旧来の歴史学においては付加的部門であった文化交流論が,先述した現代的状況のなかでより重視されるにいたり,対比論的研究などと相通ずるものとして,比較文化学のなかに新たに取り込まれ,根本的な再編成を受けたものが[1]であるといってよい。[2]は,ときに,歴史的にも地理的にもまったく相離れた複数の文化・文明から,いくつかの文化要素を抜き出して恣意的に比較考察する危険を含むものとして,学問的正当性を疑問視されることもあるが,この批判は必ずしも当たっていない。比較文化学の専門的修練を積んでいれば,どのような主題を選択すべきかはおのずから学問的必然をもって決定されてくるのであり,また地理的・歴史的近縁性が学問的真理の唯一の根拠であるとする考え方は,過去100年間の実証主義的学問観によって形成されたものにすぎず,このような事実的根拠とは別に,文化・文明の本質からくる本質論的根拠というものも考えることができるからである。文化・文明の本質がしっかりと理論的に考察されていれば,歴史的・地理的に相離れた外観上何の関係もないようにみえる諸文化・諸文明のあいだにも,学問的対比考察を必然的なものとする基盤が見出されてくるはずである。[3]は,ある意味では,旧来のすべての学問が,それが本来的な形でなされている限り,つねに心掛けてきたことであるが,ただ旧来の学問的思惟が唯一,共通の真理を追求するに専念して,その多様な発現態を二次的なものとして終極的には捨象する傾向があったに対し,比較文化学においては後者をも重視し,その結果,旧来の学問においては見過ごされていた諸文化・文明をも包摂しつつ,真の人類的・普遍的真理を,その多様な具体相とともに把握すべくつとめているといってよいであろう。比較文化学は,どのみち,旧来の諸学問の補完としての超克なのである。
【比較文化とわれわれ日本人】文化・文明は,かつてはその固有性において取り上げられることが多かったが,今日の学説では,どのような文化・文明も土着の要素・システムと外来の諸要素・諸システムが,縦糸と横糸のように織り合わさって形成されている複合体であり,諸文化・文明の成立とそれらのあいだの交流はほとんど等根源的,諸文化・諸文明が成存するところ文化交流もまた遍在的,ということになってきた。一つの文化・文明の固有性をとらえるために他の文化・文明の固有性との対比考察が必要であるのみならず,一つの文化・文明そのものを単独に研究するにあたっても,人類世界全体を研究する場合と同様,比較文化的アプローチが不可欠ということになってきたのもそのためである。そしてこのことはさらに次のことを意味する。[1]日本文化は,太平洋諸島文化・東南アジア文化・北方遊牧民文化・支那文化・印度文化,さらには近代欧米文化などの交錯において成立してきたといえるが,だからといって文化・文明として純粋性のない二次的・派生的な性格のものということにはならず,むしろ逆に,文化・文明として最も典型的なあり方をしているということ。[2]日本文化研究は,したがって現代的観点からの人類世界全体の研究の場合と同様,不可避的に比較文化的アプローチをもってなさざるをえないこと。[3]このような形で自文化を形成してきた日本人は,根本的にいわば比較文化的な資質と能力を身につけているとみることができ,比較文化はまさしく日本人にふさわしい学問であること。[4]しかも,自らのアイデンティティを失うことなく諸文化・諸文明を調和裡に統合・共栄させてきた日本人のこのような天稟は,複雑・多様に入り組み合った今日・今後の人類世界を正しく導くにあたって,けっして意味するところは小さいものではないこと。21世紀を迎えつつある今日,国際社会において日本が果たさねばならぬ指導的な役割は,たとえ調停者としてのそれであっても,いやそれこそが今後の人類世界にとって最も大切な役割なのだが,とにかくしだいに甚大なものとなりつつある。日本人が2,000年の歴史を通じて,自覚の有無・多少にかかわらず,己の生存を賭けて培ってきた比較文化的な資質と能力は,いまやより自覚的に駆使されることによって,人類史・世界史の先導のために資されるのでなければならない。宇宙時代が近づくにつれて地球社会はしだいに単一化されていく傾向にあるともいえるが,しかし人類世界が宇宙戦争の手段として動員されることなく,カントのいう「目的の王国」としての尊厳を獲得し,保持しうるのは,もっぱらその内なる多様性が調和裡に認知されることによってなのである。
〔参考文献〕佐伯彰一・伊東俊太郎編『比較文化への展望』講座比較文化第8巻,1977,研究社
中田光雄『文化の協応−比較文化概論』比較文化叢書第2巻,1982,東京大学出版会