●范蠡 はんれい
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生没年不明。中国,春秋時代,越王勾践(在位前497〜前465)の忠臣。当時,呉越の抗争がつづいていたが,呉王夫差に敗れ,会稽山で屈辱の和睦をした越王勾践を助けて富国強兵をはかること20年,ついに前473年(呉暦夫差23),呉を滅ぼして会稽の恥をそそいだ。勾践はさらに軍を北にすすめ,諸侯を徐州に会して盟主となり,天下の覇者となった。范蠡は,勾践の人となりが患難をともにしても楽しみをともにはしがたいとして,越を去って,海路より斉に行き,姓名を鴟夷子皮(しいしひ)と変え,海辺を開拓して,まもなく数十万の財を蓄えた。斉の国はその賢を聞いて宰相としたが,これを喜ばず,職を辞し,財産を知友郷党に分け与えて,当時天下交易の中心であった陶(山東省定陶県)に行った。ここで,陶朱公と称して交易に従い,再び巨万の富を築いた。以上は『史記』の述べるところだが,斉の鴟夷子皮・陶の朱公が,范蠡と同一人物とするのには,疑問がもたれている。
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