●ハンムラビ法典 ハンムラビほうてん
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バビロン第1王朝のハンムラビ王が治世の晩年(治世2年目の説もある)に発布した成文法典で,古代オリエント社会を知る有力な史料の一つである。【法典の発見】ハンムラビ法典は,1901年の暮から翌年の春にかけて,J.モルガン卿を中心とするフランスのイラン学術調査団により,エラムの古都スーサで発見された。それは,高さ225cm,直径61cmの長大な黒色閃緑岩の円柱で,頭部には,ハンムラビ王が正義の太陽神シャマシュから法典を授かるところが浮彫りにされ,その下に条文がぎっしりと楔形文字で刻まれている。もともとこの円柱はシッパル市の太陽神殿に建てられたものであるが,前12世紀にエラム王シュトルク=ナフンテがバビロン攻略の際に奪いとったものと推定される。エラム人の慣習に合わぬ条文が一部削られたが,のちに発掘された泥土写本を頼りに,ほぼ完全に復元された。現在,パリのルーブル博物館に収蔵されている。
【法典の構成と内容】法典は前文・本文・後文の3部からなる。前文では,この法が〈此地に正義を説き,不善と邪悪を破り,強者が弱者を圧迫することを制止する〉ための正義の法であることを,王自身の数々の功業とともに記している。本文は全文282条からなるが,その配列は概ね次のようになる。[1]法の執行に対する犯罪(第1〜5条),[2]盗みの罪(第6〜25条)窃盗・誘拐・強盗など,[3]軍人・官吏の権利と義務(第26〜41条),[4]農民と土地(第42〜K条)農民の義務・農民の負債・灌漑・果樹園・家屋に関する犯罪など,[5]商業法(L条〜126条)借金と利子・商人・居酒屋・債務による人身抵当・供託など,[6]家族法(第127〜194条)a. 夫婦関係−−結婚・離婚・妾・姦通・婚約不履行など b.
財産−−相続・相続人の廃嫡・寡婦の財産と再婚など c. 神婦・養子,[7]傷害罪(第195〜214条)殴打・殺傷・流産,[8]職業法(第215〜282条)a. 技能職−−医者・理髪師・大工・船員など b.
農牧業−−家畜の貸借と補償・労働者の義務と雇用・農具の窃盗など
c. 報酬・賃金 d. 奴隷売買。このように社会生活全般にわたって,実定法的規定がなされているが,とくに家族法が法典全体の4分の1を占める。結婚は純然たる売買契約であり,細かい規定が必要とされたのである。
【法典の原理・特色】ハンムラビ法典の法的原理の一つに,同害刑法があげられる。これは,いわゆる“目には目を”の復讐思想にもとづくもので,たとえば第196条〈人(アウェルム)の目をつぶした者はその目をつぶされる〉,第197条〈人(アウェルム)の骨を折った者はその骨を折られる〉という条文に明確に示されている。しかし,同時に,それは当時の階級社会を反映した階級法的性格も持していた。例として,第198条〈人(ムシュケーヌム)の目をつぶし,あるいは骨を折ったときは銀1マナを支払う〉,第199条〈人の奴隷(ワルドゥム)の目をつぶし,あるいは骨を折ったときは,その奴隷の価格の半分を支払う〉をあげることができる。バビロン第1王朝時代の社会は,上からアウェルム・ムシュケーヌム・ワルドゥムの三つの階級からなっていた。ワルドゥムは男の奴隷を意味し,女奴隷アムトゥムとともに不自由民を構成する。数は比較的多かったが,バビロニア経済を支えていたのは,むしろムシュケーヌムである。この階層の法的地位をめぐって論争が絶えないが,一般には,アウェルムを征服者アムル人とみなして貴族ないし完全自由民とし,ムシュケーヌムを征服されたバビロニア人とみなして平民ないし半自由民とする説がとられる。以上の点から,ハンムラビ法典は刑法中心の印象をもちやすいが,実態は先に見たように民法・商法が中心であった。あの多彩な法形式に,古バビロニアの活発な商業活動を伺うことができる。また,当然のことながらこの法典の背景には,先行のシュメール法やリピット=イシュタル法の伝統があり,それらの法典のいわば集大成をなすものと考えられる。しかし王の威光をもとに帝国全体に法を及ぼしたことは画期的であった。
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