●ハンドボール
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【起源】ボールを投げ,捕えるゲーム形式の運動である。ナイル川中流域のベニ=ハッサンの墳墓にある壁画のなかに球技が古くから行われた痕跡が残されているが,とくにアテナイ郊外で発掘された前5世紀と考えられている浮彫りのなかにハンドボールの原形となったものが残されている。ハンドボールに類する競技でウラニアと呼ばれるものがあり,かなり大きなボールを投げ合っているモザイクがシシリー宮殿の床に残されている(3〜4世紀のもの)。また,ハンドボールに類似のものは北極地帯のエスキモーやアメリカ-インディアンにもみられ,フランスやドイツでも13世紀,17世紀,18世紀に競技が行われたといわれている。【歴史】ヨーロッパ式ハンドボールには2種類のゲームがある。一つは各チーム11人で行うもの(11人制),一つは各チーム7人で行うもの(7人制)である。日本に最初に紹介されたのは1922年(大正11)に大谷武一によって行われた。日本送球協会の設立は1937年(昭和12)であり,日本におけるハンドボールの発達史は,第二次世界大戦終了までの「発生期」,終戦から1960年(昭和35)前後までの「発展期」,現在までの「躍進期」の3期になる。11人制ハンドボールが7人制ハンドボールに移行し始めたのは男子は1961年(昭和36),女子は1962年(昭和37)で,いずれも7人制世界選手権に参加してからである。そして,1963年(昭和38)に7人制一本化が成しとげられた。
【7人制】7人制ハンドボールはデンマーク,スウェーデンを中心とする北ヨーロッパ諸国の冬季室内競技として発展した。当初はトーアバルと呼ばれる女子競技として発生した。ハンドボールという命名をしたのはカール=シュレンツで競技方法は彼のものが普及したといわれている。そして1928年に国際アマチュアバンドボール連盟が設立されている。7人制ハンドボールは歴史的に11人制より古く1898年ホルガー=ニールセンによってデンマークで始められ,hand bold と命名された。20世紀初頭のデンマークでは学校体育の教材として取り上げられ人気を呼んでいたが,その発展は11人制より遅れ1934年に国際的なルールが確立されてからである。戦後におけるハンドボール技術の急速な発展は7人制によってもたらされたといわれる。世界の動向は当時,北ヨーロッパ諸国は7人制中心であり,東ヨーロッパ諸国では7人制と11人制の2本立でであった。しかし,ゲーム特性からテンポの遅い11人制のゲームより,テンポの速く中盤のせり合いの多い7人制のゲームヘと大衆の興味や関心が移行していった。そして,1960年代には11人制を保存している国は東ドイツ・西ドイツ・スイス・オーストリアなど中欧の数カ国になってしまっていた。このように第二次世界大戦終結まで11人制はドイツで精力的に行われていたが,スウェーデン・デンマークでは戦争中も7人制に力を注ぎ,ルール・技術・戦術など7人制独自の高度な戦術を創造していった。こうした流れのなかで,日本は11人制と7人制の両文化を導入し2種類の競技特性を比較し選択する機会を得ている。それは,1956年(昭和31)の西ドイツチームの来日と1960年(昭和35)のルーマニアチームの来日であったといえる。
〔参考文献〕日本体育協会編『現代スポーツ百科大事典』1970,大修館