●蕃書調所 ばんしょしらべしょ
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徳川幕府が後期・幕末期に開設した軍事・外交上の必要な洋書の研究・教育施設。幕府は1811年(文化8)に,江戸の天文台に蘭書訳局を設けていたが,ペリー来航後外交・軍事上の要員養成の洋学所を1854年(安政1)設置,1856年蕃書調所と改称,九段下に開所し,1857年1月開講。頭取古賀謹一郎,教授2名(箕作阮甫・杉田成卿),教授手伝10名(村田蔵六ら),句読教授3名(直参)で構成。年齢制限はなく漢字の素養は必要とされた。1857年幕臣とその子弟191名入学,1858年陪臣も入学させた。当初は兵学・測量術・砲術・築城術・造船術・航海術など軍事学関係,外交文書・外国新聞などの翻訳が主であった。1862年(文久2)以降,蘭語のほか英・仏・独語,精煉学・物産学・数学・器械学・画学などを増設拡充,一ッ橋外に移り洋書調所,1863年開成所(開物成務の意)と改称,研究・教育が推進された。幕府倒壊後,明治政府に医学所とともに引き継がれた。東京大学の源流。