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●バングラデシュ

アジア バングラデシュ人民共和国 AD 

 正式国名はバングラデシュ人民共和国。元の東パキスタンで,1971年に独立した新興国家。バングラデシュとは“ベンガルの国”の意。インド亜大陸の東部に位置し,東南がビルマに接し,南がベンガル湾に面しているほかはインドに囲まれている。ブラマプトラ・ガンジス川流域のデルタ地帯で,高温多湿の亜熱帯気候。面積14万3,988平方km,人口8,705万2,024人(1981年センサス,なお1983年初めには9,360万人に達したとみられる)。労働人口の70%近く(1982/83年)が農業に従事する農業国で,主な産物は米・ジュート・紅茶など。天然ガスを埋蔵し,工業の発展も期待されている。住民はアーリア人とドラビダ人の混血であるベンガル人が約98%を占める。公用語はベンガリ語。

【独立前史】イギリスの統治時代は現在インドの西ベンガル州と共に単一のベンガル州を形成していた。インドとパキスタンの独立が日程にのぼった時,“統一ベンガル国家”の構想も出されたが,ネルー・ジンナーの反対にあって,結局1947年8月ベンガルは二分されて,インドの西ベンガル州と東パキスタンとなった。しかし,東西パキスタンは人種・言語・生活習慣も異なるうえ,政治・経済が西パキスタンに握られていたことから,ベンガル人の不満がつのり,民族主義が台頭した。それはまず言語的要求となって燃え上がり,やがて自治権拡大闘争へと高まっていった。1970年12月の総選挙では,ベンガル民族主義を唱えるムジブル=ラーマンのアワミ連盟が第1党となり,ブットーの率いるパキスタン人民党が西パキスタンを中心に票をのばして第2党となった。ヤヒヤ=カーン大統領はラーマン・ブットーとのあいだに調整を試みたが失敗,国民議会を延期して武力弾圧に出た。内戦が始まり,1971年3月26日バングラデシュは独立を宣言した。独立戦争はインドの参戦によって第3次印パ戦争に発展,12月パキスタン軍が全面降伏,バングラデシュは名実ともに独立を達成した。

【独立後】ムジブル=ラーマンは1972年に初代首相に就任し,民族主義・社会主義・民主主義・政教分離主義の4原則に基づく憲法を制定した。しかし,経済情勢の悪化と政治的腐敗から国民の信用を失った。1975年1月には大統領直接統治制をしいて事態に対処しようとしたが,同年8月の軍部クーデタにより殺害された。代わって実権を握ったジアウル=ラーマンは社会主義路線を修正して民間資本育成に力を入れ,またイスラーム教を重視する政策をとった。一方外交面でもそれまでの親印ソ政策を改め,非同盟外交をとると自ら宣言,パキスタンの承認を得た。政治・経済の安定をはかり,1979年4月には民政移管を実施したが,1981年5月突如一部軍人の反乱により殺害された。サッタル副大統領が大統領となりクーデタは鎮圧したが,食糧不足・政治腐敗などから1982年3月軍部の無血クーデタがおこり,エルシャド陸軍参謀長が政権を握った。エルシャドは食糧問題の解決と行政改革など思い切った政策を実行,しかし民政移管・憲法改正,とくにイスラームの国教化の問題など多くの政治的課題をかかえている。

【社会・文化】ムスリムが人口の80%を占め,ヒンドゥーと少数の仏教徒・キリスト教徒をあわせて20%である。ムスリムはヒンドゥーから改宗したものが多く,ヒンドゥー教の信仰儀礼や慣習が混入している。イスラーム社会を純化しようという動きや,イスラーム思想の近代化運動もあったが,地域的特色が依然として強い。一方教育水準は世界でも最低レベルで,識字率も20%(1974年センサス)ときわめて低い。このため政府は初等教育に力を入れているが,その普及にはまだまだ時間がかかりそうである。ベンガルは古い伝統と文化を持っており,多くの芸術家を生み出してきた。バングラデシュの国歌「わが黄金のベンガルよ」もノーベル文学賞受賞者のベンガル詩人タゴールの詩からとったものである。

〔参考文献〕加賀谷寛・浜口恒夫『南アジア現代史 II』1977,山川出版社

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