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●藩営専売 はんえいせんばい

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 商品経済の発達に伴って,江戸中期以降,藩が特定商品の生産・販売のいずれかあるいは共に独占した一種の課税収入の方法。近世封建社会は元来,本百姓の確保より成る年貢米の収入に基盤をおき,産商抑圧策がとられていた。江戸中期以後,貨幣経済・商品経済の発展は幕藩ともに財政の破綻を招き,財政補強策の如何が諸藩延命のための決め手となった。享保年中,秋田藩は桑樹栽培に意欲をみせ,のちに米沢藩も従来の新田開発から方向を転換し,桑・・漆の三木各々百万本植培計画を設定するなど,国産の振興と商業利潤からの増収をはかった。寛政期には,幕藩ともに改革政治を試み,諸藩においてもいわゆる名君型藩主が現れて殖産興業に積極的かかわりを示し,上からの改革を試みる。国産会所産物会所などの専売機関の設定も行われるが,資金の融通・専売制の采配がしばしば江戸・大坂などの大商人に依存したから,藩役人と富商・豪農の連携は強まったが,収奪が強化された一般農民,商人との提携が生みやすかった腐敗の構造にあきたらぬ下級武士たちの反抗がみられた。これらの諸事情が汲まれ,藩自体が直接的,より権力的に商品の入手と生産・販売にかかわって重商主義的方法が敷延したのが天保期とそれ以降の形態である。諸侯の商業資本家化が進行し,国産の商品化は明白な事実となった。江戸初期からの特産を伸長させた会津の蝋,仙台・金沢の塩,領外移出に賭けた姫路の木綿,領内の配給を独占した鳥取の晒・蝋など専売形態は異なるが,いずれも正貨の入手は増加をみている。宇和島・大洲・高知の紙業も例外ではない。長州藩では下級武士の出である村田清風の登場が,資本面での小国家的独立状態を得るに至った。薩摩藩は琉球を植民地的立場に置きつつ増益著しく,砂糖専売の苛酷さは未だに数多くの挿話に語られるほどである。藩営専売の成立と発展は一方に社会階層の分解を招き,専売反対一揆等にみられる藩政の矛盾を露呈するなど社会的影響を大きくしたが,各藩の利潤獲得競争の激化が商業経済を活性化し,近世の価値体系をも変化させるに至った状況も見おとせない。