●ハワイ王朝 ハワイおうちょう
AD1782
いわゆるハワイ王朝が確立されたのは大首長パイエア(カメハメハ1世)がハワイ統一を完成させてからで(1782年),以後5世までつづく直系ライン(1782〜1872)の90年間と,国会公選で王位に即いたルナリロ・カラーカウア,およびリリウオカラニ(1873〜91)の18年間の第2期王期とに分けられる。この8代にわたる王者の歩みこそ,18世紀末に勃然と興り,19世紀末に滅んだハワイ王国の歴史の消長である。所詮は白人の来島,キリスト教の渡来,英・露・仏・米の勢力が侵入し,こうした欧米列強のなかで南海の弱小王国を経営するのは至難のわざで,事実はよろめきながらの独立維持であり,列強の軍事的・経済的欲望によって滅ぶべくして滅び,吸収されていった。こうした推移はポリネシア各地でも同様である。ハワイはタヒチ(こちらはフランス)とまったく同様の経過をへて,ここに亡国の典型をみる。反乱罪で幽閉されたリリウオカラニも悲劇の女王なら,デュプチ=トアールの強圧に哭いたポーマレ4世女王はさらに悲劇の人だった。〈私がどこに賠償金の1万ピアスターを持っているというの?〉と肩を震わせて泣きながら書類に署名した瞬間に,タヒチ王国は消滅した。さて,以下に8人のハワイ国王の統治期をリスト=アップする(Kはカメハメハの略)。カメハメハ1世 1782〜1819
カメハメハ2世 1819〜24 長男リホリホ。
摂政時代 1824〜33 K 1王妃カアフマヌおよびカラニモク。
カメハメハ3世 1833〜54 前王2世の弟カウイケアオウリ。
カメハメハ4世 1854〜63 アレキサンダー=リホリホ。K 2・K 3の異母妹の子。
カメハメハ5世 1863〜72 ロット=カメハメハ。前王の兄。
ルナリロ 1873〜74 ウイリアム=C=ルナリロ。K 1の姪の子孫の,K 5の甥に当る。
カラーカウア 1874〜91 デビッド=カラーカウア K 1の従兄弟の子孫。
リリウオカラニ 1891〜93 リディア=リリウオカラニ=ロロク=カマーカエハ=ドミニス夫人。前王の
妹。
1世は白人の銃火器を用いてハワイを統一し,白檀(イリアヒ)を広東に輸出して王朝財政の基礎をつくった。ロンドンで客死した2世の生涯の前半は,まだ古俗時代である。3世の時代に入って,ハワイはようやく王国の体裁も整ったが,米・仏・英の干渉・抗議・一時占領という受難の時期を迎えた。しかし一方では憲法の発布,土地所有権の確立,砂糖・コーヒーなどの産業が発達した。4世は米国旅行中に黒人と間違われたことから徹底したアンチ=アメリカの国王だった。彼の治世でみるべきものは米布互恵条約の締結と労働移民の開始である。5世の時代では新憲法の発布(1864)と移民局の設立(1865)が挙げられる。ここで息子が夭折したため,カメハメハの直系は絶えて,国会の公選で王位に即いたのがルナリロである。統治は1年であった。独身のルナリロには子供がなかったから,再び国会公選の王となったのがカラーカウアである。ついで妹のリリウオカラニが女王となったが,彼女は王権拡張の新憲法を布告しようとして白人勢力の反発を誘発し,革命によって王位を追われた。1893年1月のことである。その後,S.B.ドールをリーダーとする共和政府が成立し,ハワイが正式に米国に合併されたのは1898年(明治31)8月12日である。この米領ハワイ時代が約半世紀つづいて,州に昇格したのは1959年のことである。石器文明から一挙に鉄器文明へ。そして打ちつづく白人勢力の増大は,ハワイの近代化を促す一方,文明病の侵入によってハワイ人の人口の減少をきたし,また労働者の輸入から,今日,人種的・文化的に,洋の東西をミックスした独特の“ハワイ州文化”というべき社会を現出させた。ハワイ州の州歌は旧王国国歌の「ハワイ=ポノイー」で,州旗もまた旧国旗が使用されている。
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