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●バロック

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 16世紀末から18世紀初め,すなわちおよそ17世紀に当たるバロックの芸術に対して,歴史家や批評家の正当な関心が向けられるようになったのは,20世紀に入ってからである。従来バロックは芸術様式としては一段低いものにみられていた。そもそもバロックの語源からして「歪んだ真珠」を意味するスペイン語,もしくはポルトガル語にあるといわれ,ルネサンスから古典主義へと流れるヨーロッパの伝統的な美術を標準語とするならば,バロックは粗野で卑俗な方言的美術とさえみなされた。その様式は曲線の多い装飾過多の非古典的な建築や装飾一般を侮蔑の意味をこめて呼ばれたのであった。どちらかといえば絵画的といえるこの美術様式は,端正なルネサンス美術への挑戦,ときにはその解体をめざした一面ももっていたから無理からぬことではあった。しかしそれはやがて美術のみにとどまらず,その時代の音楽・文学の様式名としても用いられるまでに拡がったため,19世紀にいたってルネサンス様式の解体を意味する17世紀イタリア美術をさす用語となったのである。

 さらに19世紀末になってバロック美術に対する客観的な再検討が,スイスの歴史学者ブルックハルトの手で行われたが,彼ですらまだ低い評価しか与えなかった。20世紀に入ってからもバロック芸術は,世紀末芸術にも比すべき「悪趣味」として軽蔑されたのであった。ところが第二次世界大戦後,文化の復興と現代芸術の興隆の中で,バロック芸術の意味と価値について再検討の気運がたかまって来た。そこでバロックの音楽や建築は徐々に熱心な愛好者をもつようになり,バロック美術ルネサンス様式とは別個な価値判断を要求する独自な様式に拠るものであることが認められるようになると同時に,イタリアのみならず同時代の北方(ネーデルランド・フランドル)美術にもこの用語が適用されるようになった。現在ではレンブラントの芸術さえもバロック的と考えられている。

 現今ですらバロックの概念にはまだ流動的な要素もあって,一つの概念に規定することにはまだ難点もあるが,努力をつづける二つの流れがある。その第1は歴史主義の観点に立ち,17世紀を中心にその前後約1世紀半の時期を“バロックの時代”とし,純粋な歴史概念としてとらえ,それ以外にはバロックを認めまいとする。レイモン・ヴァイスバッハクローチェらがそれで,レイモンやヴァイスバッハはバロックをもっぱら美術だけに限定しようとしたが,クローチェは美術のみならず同時代のすべての精神活動,たとえば文学や思想の領域までこの範疇を押し広めた。今日ふつうに“バロック音楽”といわれるものは,この種のものである。第2は様式主義の美学ともいうべき考え方に立ち,バロックを単に17世紀ヨーロッパ世界と限定せず,人間精神の根本的な表現様式の一つとして,いつの時代どのような場所にも現れる一定の様式とみる立場である。古典的名著といわれるヴェルフリンの『美術史の基礎概念』や,ドールスの『バロック論』・フォションの『形態の生命』などに表明されている考え方がその代表的なものである。そこでは激動するもの,躍動する生命力,それがバロックの本領だといわれ,直接感情に訴えて観る者を圧倒する感覚的効果にこそ,この芸術の最大目標があったとし,そのため豪華な装飾と幻想的な錯視効果が工夫され,ルネサンスが知的階層を対象とした理知的芸術であったとすれば,バロックは一般民衆をも包括してその感情まで支配しようとして,諸芸術を一つに融け合わす総合的な芸術であったとする。ルーベン・グレコ・ベルニーニレンブラントらの活躍を思い浮かべれば十分であろう。

 バロック解釈の大勢は今や後者に傾き,バロックは古典主義から派生するものではなく,ロマン主義よりももっと根本的に古典主義様式と対立するものであった。古典主義様式が「重みのある形式」であるのに対して,バロック様式とは「飛翔する形式」ということになるのである。