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●バルフォア宣言 バルフォアせんげん

ヨーロッパ 英国 AD 

【シオニスト】第一次世界大戦末期の1917年11月2日,イギリス外相アーサー=バルフォアがイギリスシオニスト連盟会長のロスチャイルド卿にあてた書簡のこと。普通この書簡がバルフォア宣言と呼ばれている。内容は次のような短いものである。「……イギリス政府は,パレスチナにユダヤ人の民族的郷土を設立することに賛成しこの目的達成を容易なさしめるべく最善の努力を払うであろう。ただしその場合,パレスチナに現存する非ユダヤ人諸社会の市民的かつ宗教的諸権利あるいは他の諸国においてユダヤ人が享受している諸権利ならびに政治的地位をなんら損わないということが明白に了解される……」

【二つの公約】読んで明らかなように,この「宣言」は,19世紀末以来しだいに活発になってきたシオニズム運動(離散したユダヤ人が一つの民族として「郷土」パレスチナに再結集しようとする運動)に,イギリスという大国が初めて公式に保障と支援を与えたものであった。この「宣言」におけるイギリスの真の意図は,単なるユダヤ人に対する同情ではなく,パレスチナ地域の独占にあり極めて政略的なものであった。パレスチナに関して見れば,イギリスはこの「宣言」以前にすでに相互に矛盾する二つのコミットメントを行っていた。一つは,1915年7月から1916年1月にかけてアラブを代表するフサインに対して行った「フサイン-マクマホン書簡」で,そのなかでイギリスは第一次世界大戦終結後独立したアラブ国家設立を公約していたが,その独立アラブ国家の範囲には明らかにパレスチナが含まれていた。また他の一つは1916年5月にフランス・ロシアとの間で結んだ密約(サイクス-ピコ協定)で,そこではパレスチナが「国際化地域」と定められていたのである。トルコ支配から独立をめざすアラブ民族主義者たちは,前者(フサイン-マクマホン書簡)を信じて,1916年6月以来,イギリス軍の支援のもとに対トルコ反乱に立ち上がっていたが,もしも後者(サイクス-ピコ協定)が明らかになれば,彼らはイギリスに対して抗議に出て来ることは明らかであった。また後者に言うパレスチナの「国際化」はインド支配のルートとしてのスエズ運河の安全確保のためパレスチナ独占支配をめざすイギリスの意図から見れば不十分なもので,パレスチナ支配をめぐって早晩フランスとの間に摩擦が生じることは明らかであった。終戦の近づいていた当時,戦争遂行の必要上イギリスには自ら招いたこれら二つのデッドロックを乗り切るために,対アラブ公約は事実上廃棄し,対フランス政策としてはパレスチナに関してなんらかのイギリス主導の「既成事実」をつくり上げる必要が生じた。この「既成事実」つくり上げの担い手として選ばれたのが,パレスチナ再結集をめざすユダヤ人のシオニズム運動であった。その上,この親シオニズム的なイギリスの行動は,アメリカのシオニストで最高裁判事ブランダイスのウィルスン大統領に対する大きな影響力を利用して,アメリカにおけるイギリスの戦事公債募集に効果を発揮した。ロシアのシオニストの活動で革命ロシアの対独単独講和を食い止める効果をもねらったものであった。

【ナショナルホーム】このようなイギリスの政略的文脈からこの「宣言」を見れば,フサイン-マクマホン書簡で独立国家を約され,パレスチナに現に住んでいる圧倒的多数のアラブ人は,たとえその「市民的かつ宗教的権利は……損われない」との条件をつけたところで,今や「現存する非ユダヤ人諸社会」の三つとされ,パレスチナにおける第二義的存在としての地位におとしめられ,その代わりユダヤ人は「民族」としてパレスチナにおける第一義的存在とされたのである。それはナショナルホームという表現を見れば明らかであった。かくてバルフォア宣言は,歴史的かつ本質的には帝国主義支配からのアラブの民族的解放の闘いを「パレスチナ問題」として,現象的にはアラブ対ユダヤあるいはアラブ対イスラエルの対立との形をとらせることとなり,アラブの民族的解放に宗教的・人種的対立の現象を帯びさせ,今日のパレスチナ問題の元凶となったのである。

〔参考文献〕英修道・入江啓四郎監修『中東・アフリカの国際関係の推移』

前田慶穂「バルフォア宣言の成立をめぐって−−『パレスチナ問題』の発生」1967,巌南堂

板垣雄三編『アラブの解放』1974,平凡社

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