●パリ平和会議 パリへいわかいぎ
ヨーロッパ フランス共和国 AD1919 フランス共和国第三共和政
1919年1月18日から同年6月28日の間開かれた第一次世界大戦後の講和会議。連合国側32カ国が参加したが社会主義国ソヴィエトは招かれなかった。指導的役割を演じたのは最初アメリカ・イギリス・フランス・イタリア・日本の五大国であったが,後イタリア・日本は除かれた。会議の基本原則はアメリカ大統領ウィルソンの14カ条であったが,イギリス・フランスの権力主義政策により無併合・無賠償・秘密外交廃止などが無視され,ドイツに対する苛酷な制裁や植民地・半植民地側の主張の抑圧がはかられ,わずかに東欧8カ国の独立と国際連盟の設立のみが多くの問題を含みながらも実現された。会議は最初の予定ではほかの敗戦国との講和も決定するはずであったが,審議の遅れからドイツだけが対象とされ,ほかはそれぞれ別個の条約を締結した。ドイツが調印した条約の名に因んで第一次世界大戦後のヨーロッパ国際秩序は普通ヴェルサイユ体制と呼ばれている。