●バランス・オブ・パワー
ヨーロッパ ヨーロッパ AD
【概念】ふつう勢力均衡と訳される。バランス・オブ・パワー(勢力均衡)という概念は近代ヨーロッパの国際関係を説明するときにしばしば使用される用語であるが,概念そのものには曖昧さがある。国際関係における国力は政治・経済・軍事・文化・宗教・国土・人口などのさまざまの要素を結集したものであるが,その総合力の客観的測定はきわめて困難であり,しかもこれらの要素は絶えず変化して流動的である。さらにこのような国力の均衡状態の認定はいっそう漠然としたものであるが,それにもかかわらず勢力均衡の原理はヨーロッパ近代史を展望するときに重視される用語である。ヨーロッパはキリスト教の信仰を共通の地盤とする文化圏であり,中世は普遍的権威というべき教皇権と皇帝権を焦点とする二元的・楕円的構造を特徴とした歴史的世界であった。この普遍的権威の低下とともに開幕した近代は,[1]主権国家を単位とし,[2]国際法と,[3]勢力均衡を尊重する国際社会として成立した。この三要因を支柱として構成された近代ヨーロッパの国際秩序をドイツ史学は「国家系」と呼び,また今日の国際政治学は「西方国家体系」と呼んでいる。このような姿は古代や中世の西洋の歴史には見られず,まして東洋の歴史にはなかった。西洋の近代は個別国家の独立性を生命とする国際社会であるから,一国だけの覇権を許すことはほかの国の独立性を奪うことになり,そのため覇権に対抗する勢力均衡の原理が何よりも重大視されたと言ってよい。【ヨーロッパ】勢力均衡の感覚は,1494年のフランス王シャルル8世のナポリ侵入を契機として,ヴェネツィア・ミラノ・フィレンツェ・ローマなどイタリアの都市国家から芽生え,やがてこの原理がアルプス以北から全ヨーロッパに普及した。16世紀におけるハプスブルク家のカール5世に対するヴァロア家のフランソワ1世の対抗,フェリペ2世の無敵艦隊を壊滅させたエリザベス女王の戦い,18世紀初頭のイスパニア王位継承戦争におけるブルボン王朝のルイ14世の敗北,19世紀初頭のナポレオンのヨーロッパ制覇の失敗,第一次世界大戦におけるドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の敗戦,第二次世界大戦における第三帝国の壊滅など,すべて勢力均衡保持のための戦いであった。そのうちイギリスは海洋国家であったので,大陸諸国間の力のバランサーとして行動することによって自国の安全を保障され,勢力均衡政策がイギリスの伝統的外交方針になったことが注目される。
ヨーロッパ国家系は,三十年戦争終結の1648年に成立したウェストファリア条約によって基礎を固め,次いで七年戦争の終結した1763年のパリ条約成立前後に,イギリス・フランス・プロイセン・オーストリア・ロシアの五大国体制(五大列強体制)の形成を完了し,ヨーロッパの国際秩序が安定した。フランス革命やナポレオン時代以後の19世紀ヨーロッパ史はこの五大国体制を基盤とする国際秩序の支配した時代で,基本的には第一次世界大戦まで存続したと見てよい。
第一次世界大戦前からアメリカや日本といった非ヨーロッパ強国の発言権が高まり,ヨーロッパ中心主義の時代はしだいに過去のものとなった上,二つの世界大戦を通してドイツの覇権獲得運動が撃退されたあと,今日の世界政治はアメリカ・ソ連二極構造時代となっている。この国際政治の構造転換によって五大国体制を基軸とする古典的なバランス=オブ=パワーの時代は過去のヨーロッパ中心主義の時代の姿であったことが明示されたと言える。
なお,中国史や日本史でもバランス=オブ=パワーの原理によって比喩的に説明できる時代がある。
〔参考文献〕シューマン・長井信一訳『国際政治』上・下,1973,東京大学出版会