●ハラージュ
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イスラーム法でジンミー(非イスラームに対する生命・財産の安全の保障を意味するジンマを与えられた人々)の支払う地租をいう。これはバイト=アルマール(イスラーム国家の国庫の意)の最大の収入源であった。ムハンマドは,アラビア半島でユダヤ教徒とキリスト教徒からジズヤ(人頭税),ムスリムからザカートを徴収した。前者は人頭税,後者は家畜・農産物の現物徴収であり,当時アラビア半島では土地そのものに対する課税はなかった。土地に対する課税を認識したのはアラブの大征服時代後のことに属しているが,それとても人頭税と地租は村落単位で一括徴収されていたようで,両者の区別は明確ではなく,両者を併せたものがあるいはジズヤ(旧ビザンツ帝国領内)あるいはハラージュ(旧ササン朝領内)と呼ばれていた。ウマイヤ朝第8代カリフ,ウマル2世(在位718〜720)は,征服地の住民のイスラームへの改宗を奨励するに及んで一連の税制改革を行い,ジンミーとマワリーの租税負担に差を設けて地租は両者に人頭税はジンミーだけに賦課するようにし,ジズヤとハラージュの用語上の区別が確定された。他方アラブ=ムスリムは免税特権をほしいままにし,その所有地についてウシュルを支払うだけに止まっていたが,マワリー同様にハラージュを徴収されるに至り,そこから国家的な土地所有の理論が打ち出され,征服地はムスリム全体に属する不可分土地財産としてのフアイで,これを用益する者は地代としてのハラージュを国家に納付しなければならず,その額もジンミー・マワリーと同額にされた。
ハラージュは,貨幣または現物・あるいは両者の併用で徴収され,徴収方法としてはミサーハ(土地面積に対し,毎年一定徴収)と,ムカーサマ(収穫分割契約,毎年の実収穫のほぼ半分を徴収)の二つがあった。ハラージュの国庫収入に対する比率はきわめて大きく,中央では早くから税務庁が設置され各州の州治にも置かれていた。しかしアッバース朝の初期に,国家の重要な関心事であったハラージュの徴収は改宗者の増加につれて時代とともにその重要性は失われていった。