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●ばら戦争 ばらせんそう

ヨーロッパ 英国 AD 

 インクランドの由緒あるランカスター家ヨーク家が,貴族たちを巻きこんで1455〜1485年の30年間イングランド王位継承をめぐって戦った戦争。両家はともにエドワード3世から出た名門で,ランカスター家は赤ばらを,ヨーク家は白ばらを紋章としていたのでばら戦争と呼ばれる。

【背景】当時は荘園制の衰退が進行していて,封建貴族たちは深刻な危機に直面しており,王に取り入って王領地の譲与を求めたり収益の多い官職を得たりしようとしていた。また,彼らはその権勢を維持しようとして家臣団に依存したが,その家臣団には,インデンテュア制と呼ばれる金銭契約によって忠誠のみを売り物としていた無頼の徒が多く,封建的忠誠心を欠いた庶子封建制を流行させていた。こうしたなかで,王位継承をめぐって展開されたばら戦争は,王権に依存して栄進の道を求めようとする貴族たちの思惑がからんで,彼らが無頼の家臣団を動かしたために極めて激しい争いとなった。

【原因】1422年ヘンリー5世の急逝後,1歳に満たぬ遺子ヘンリ6世がイングランド王・フランス王として即位したが,その時代は,フランスの反撃に遭って百年戦争末期の敗戦を繰り返し,また戦争を終結させる1435年のアラス会議にも失敗した上に,皇后マーガレット=オブ=アンジューを擁したサフォーク公ウィリアム=ド=ラ=ポールが台頭して専制し,国内にはランカスター王朝の内外の失政に対する不満がみなぎっていた。サフォーク公の追放後も,ヘンリー6世がランカスター派のサマーシット公エドモンド=ポーフォールを重用するに及んで,エドワード3世の曽孫ヨーク公リチャードは,庶民院の期待を受けてランカスター王朝の派閥政治を批判して立ち上がった。1453年カスティヨンの敗戦で,百年戦争最後の惨敗を喫した上に,ヘンリ6世が神経症に陥ったのを機会に1454年貴族らはヨーク公を摂政に指名した。しかし1455年王は健康を回復し再びランカスター派の派閥政治を復活したので,ヨーク公はついに挙兵し王軍をセント=オールパンズで破りサマーシット公を戦死させた。

【戦争の拡大】その結果ヨーク派が進出して,ランカスター派貴族に譲与されていた王領地を回収して財政再建を進めたが,1456年ヘンリ6世が復活してヨーク公を失脚させた。1459年皇后が挙兵してヨーク派征討を試みたが,1460年ヨーク公はノーサンプトンで王軍に大勝した。しかしヨーク公はランカスター派の勢力がなお強かったので,すぐに王位につくことを諦め現王の死後王位につくことで満足したが,1460年末,公はウェークフィールドで戦死,その嫡子エドワードがヨーク公となり,ウォリック伯リチャード=ネヴィルと合流して1461年王・皇后らに反対するロンドン市民に迎えられて王位につき,エドワード4世となってヨーク王朝を開いた。エドワード4世は王室庁を強化し,地方官僚との連絡を密にして王権を強化して行政の能率を高め,ランカスター派を弾圧してヨーク派の派閥政治を行った。ところが王は結婚問題でウォリック伯の裏切りに遭い,ランカスター派と結んだ伯によって王位を追われ,ヘンリ6世の復位を許した。しかしエドワード4世ブルゴーニュ公シャルルの援助を得て,1471年再びロンドン市民の支持を得て王位を奪回しウォリック伯を戦死させた。王はブルゴーニュ公を利してフランスとの外交に意欲をもやしたが失敗し1483年病没した。その後王弟リチャードが幼王エドワード5世を殺害してリチャード3世となり,反乱の防止をはかって裁判所機構を強化し中央の官庁機構を肥大化させて独裁体制を固めた。

【戦争の終結】ブルターニュに亡命していたランカスター派のリッチモンド伯ヘンリー=テューダーが,王の専制を批判する人びとの要請をうけて1485年夏ボスワースで王軍を破り,ヘンリ7世として即位し多年にわたったばら戦争を終結させた。1486年,王はエドワード4世の娘エリザベスと結婚して両家は合体した。この戦争で封建貴族や騎士たちが疲弊しテューダー絶対王政が成立する下地ができた。

〔参考文献〕G. M. トレヴェレアン,大野真弓監訳『イギリス史』1,1975,みすず書房