●パラグアイ戦争 パラグアイせんそう
AD1865
三国(同盟)戦争ともいう。1865〜1870年,パラグアイがブラジル・アルゼンチン・ウルグアイの三国の同盟国を相手に行った戦争。このうちブラジルとの戦争は1864年に始まる。1811年に独立,1844年に新憲法を制定し,パラグアイの初代大統領となったカルロス=アントニオ=ロペスは隣国のブラジル・アルゼンチン両大国ともその勢いを競うほどの強国をつくり上げた。その子ソラノ=ロペスが1862年大統領に就任すると,野心家の彼は軍備を充実し,海への出口を求めて領土の拡張とラプラタ流域の征服を企てた。ウルグアイの内政への干渉を契機に,ブラジル・アルゼンチンとの対立を深め,1865年同盟三国との戦争に突入した。初期の戦局(マットグロッソ・コリエンテス・ウルグァジャーナの各戦い)は,先制攻撃が功を奏してパラグアイに有利に展開した。しかし,第二段階の戦い(ウマイタ・ピクスル)以降は,質量とも優位に立つ同盟三国が劣勢を盛り返し,パラグアイ国総力をあげての必死の戦いにもかかわらず,1870年のセロ=コアの戦いにおけるロペス大統領の戦死をもって同盟国側の勝利に終わった。この5年以上にわたる戦争の結果,パラグアイは領土の損失に加え,国民の半数以上を失い(残ったもの約22万人),蓄積してきた国富のことごとくを使い果たし国は極度の疲弊に達した。戦後,極端な男性不足(全人口の約13%)の状況を反映し,「パラクアイでは街を歩くと,木から女が降ってくる」という伝説が外国に流布されたほどである。この労働力不足を補うため外国から移民を誘致するなど外交政策に努め,国力が回復するまでには長期を要した。