●原勝郎 はらかつろう
アジア 日本 AD1871 明治時代
1871〜1924(明治4〜大正13)明治・大正時代の歴史学者。旧南部藩家老原勝多の長男,岩手県生まれ。1896年(明治29)東京帝国大学文科大学卒業。「足利時代における堺港」(『史学雑誌』)を発表し「吾妻鏡の性質及其史料価値」(同上)を書き,1899年(明治32)第一高等学校教授となり,次いで内田銀蔵との関係もあって京都帝国大学の創立期の1909年(明治42)に西洋史を講ずることとなった。彼は英米に学んだ西洋史学に対する深い卓抜な知識をもち,その見識によって『実隆公記』を読み『東山時代における一縉紳の生活』(創元社)を書いた。日本中世史の研究を進め,古代史重視の考えを否定するため上代史で扱っていた中世史を開拓し,そして西洋の中世史との比較を志向しつつ,武家時代(鎌倉時代・室町時代)と言われる時代に照明を当てて中世史の分野を確立した。原勝郎は『平安時代の文化の概観』や『藤原時代の風流』という個別論文があったが,それでも日本中世史確立を目的としていたから,平安末の国風文化を堕落ととらえ辺境荒廃の地に改革の原点を求めた。その起点を鎌倉幕府の開設に求め,『鎌倉時代に於ける人文の地方的伝播』『文芸史上の鎌倉時代』『鎌倉時代に於ける布教の経路』『足利時代を論ず』『足利時代の肖像画』などを書いた。原勝郎は1909年(明治39)『日本中世史』を上梓している。これは当時の時代区分に対する一つの提案を含む巨視的な関心に立つ論文によって構成されている。原の『日本中世史』は近世史を成立させた内田銀蔵のヒントによるところも大きい。原は足利時代にルネサンスを意識しており,暗黒とされていた室町時代に光を注ぎ藤原時代の武人化を解するところがあった。彼は当世一流の史筆をもって任じ,山路愛山を批判し新しい意味で歴史学の創造を考え,史料をまとめる妙などを考える人であった。著書に『南海一見』(1914)・『日本中世史研究』(1929)がある。