●バヤン (伯顔)
アジア 中華人民共和国 AD1236 南宋
1236〜1294 中国,元朝初期の武将。バリン(八憐)部出身。曽祖父以来,帝国に仕えた名門の家柄であるが,自らも宰相アントン(安童)の妹を娶った。フラグ=ハンに従ってペルシア遠征で功をたて,後フビライ=ハン(世祖)の懇請により,1274年(至元11)南宋征討軍の総司令官となった。バヤンは,襄陽に本営を置き,水軍を含む四十数万戸翼の軍を編制し,自ら漢陽・鄂州をぬき,さらに揚子江を東へと下って蕪湖付近で賈似道の率いる水軍に殲滅的打撃を与え,進んで建康(南京)を陥した。1276年,南宋の恭宗は,太皇太后とともにバヤンの軍門に降りここに南宋は150年で滅亡した。また,1277年には,イリ河畔のアルマリクに駐屯していた北平王ノムガン(那木罕)とアントンが,麾下の北辺防衛軍の一員であるシリギ(モンゲの子)の裏切りにより,ハイドゥ(海都)にひき渡されるという事件が勃発する。それで,急拠バヤンは西北モンゴリアに向かいシリギを撃破した。バヤンは,その後も北辺にあって和林行枢密院の長官となり,しばしばハイドゥの軍を破った。成宗の即位後は,建国の功臣として開府儀同三司太傅軍国重事を拝し,死後,淮安王に追封された。