●林信篤 はやしのぶあつ
アジア 日本 AD1644 江戸時代
1644〜1732(正保1〜享保17)江戸前・中期の朱子学者。林鵞峰の次男。1680年(延宝8),家督を継ぎ,大蔵卿法印・弘文館学士となる。1691年(元禄4),綱吉将軍の命により上野忍ケ岡にあった林家の孔子廟を湯島に移した。これが聖堂である。またここに昌平黌も整備された。信篤は幕府から聖堂の祭酒を命じられ,その功により信篤は蓄髪して僧侶待遇から士籍に列せられ,従五位下大学頭を称した。士籍を与えられた儒者は信篤が初めてである。林家は初代羅山から将軍侍読や外交文書草定・法度の起草などをその職掌としてきたが,3代信篤からは聖堂という孔子廟の祭祀を重要な役目の一つに加えられた。この祭祀を釈奠(せきてん)といい,幕府・大名・士のすべてがこれに参加し,林家の役割は私塾の経営者から幕府の公式行事の主宰者となった。信篤はこのように綱吉将軍の信任が極めて厚かった。吉宗将軍にも重用されたが林家の家学には発展性がなかった。
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