●林子平 はやししへい
アジア 日本 AD1738 江戸時代
1738〜1793(元文3〜寛政5)経世論家。名は友直,字は子平。号は六無斎。幕臣で小納戸役兼書物奉行を務めた岡村良通の次男として江戸に生まれる。父が士籍を削られたのち,叔父林従吾に引きとられ養育された。叔父が1752年(宝暦2)急逝してからは常陸方面から帰った父に徂徠学を学ぶ(『寓意草』)。1757年(宝暦7)兄嘉善が仙台に移るや,父と一緒に仙台にきて徂徠学派の畠中多沖らと親交を結び,徂徠の兵学に着目。彼は1772年(安永1)には蝦夷に行き,さらに1775年(安永4),1777年(安永6)には長崎に行き,この間江戸で工藤球卿や長崎でオランダ商館長アーレンヘイトから海外知識を導入,強い刺激を受け『三国通覧図説』(1785〜1786)を江戸で刊行。さらに『海国兵談』(1787〜1791)を仙台で自費出版し鎖国の安眠にふける世人に警告したが,松平定信の寛政の改革における出版物取締令に触れ処罰され,仙台の兄のもとにおいて蟄居を申し渡された。〈親もなし妻なし子なし板木なし金もなければ死にたくもなし〉と詠じ六無斎と号した。すべてに窮したまま56歳で没す。高山彦九郎・蒲生君平と並び“寛政の三奇人”と呼ぶ。〔参考文献〕藤原暹『日本近世思想の研究』1971,法律文化社
佐野正巳『新編林子平全集』1978〜1980,第一書房
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