●浜田彦蔵 はまだひこぞう
アジア 日本 AD1837 江戸時代
1837〜1897(天保8〜明治30)播州阿閇庄(兵庫県加古郡播磨町古宮)の百姓の子。幼名彦太郎。父は彦太郎の誕生後まもなく死亡,母は数年後に隣村の浜田に再婚,浜田彦蔵の名は養家に因む。1850年(嘉永3)13歳,養父の船で江戸からの帰路遠州灘で暴風に見舞われ漂流,52日めにアメリカ帆船オークランド号に救助され,翌年2月サンフランシスコに着いた。1854年(安政1)洗礼を受けジョセフ=ヒコ(Joseph Heco)。1855年アメリカの市民権を得,滞米9年ののち開港した日本に戻り神奈川の米領事館通訳となる。1859年(安政6)22歳のときであった。日米通商条約交渉・使節派遣・ロシア士官水兵殺傷事件など国際的な幕末外交の第一線に活躍した。1863年(文久3)領事館辞任。1864年(元治1)6月28日「海外新聞」を発刊。1866年(慶応2)長崎で貿易に従事,のち1872年(明治5)大蔵省に出仕,渋沢栄一のもとで「国立銀行条例」をイギリスのシャンドとともに編さん。1892年(明治25)自伝“The Narrative of a Japanese”を出版。1897年(明治30)12月12日心臓病で死去。東京青山霊園外人墓地に葬された。〔参考文献〕近盛晴嘉『ジョセフ=ヒコ』3版,1974,吉川弘文館
近盛晴嘉『ジョセフ彦』1980,日本ブリタニカ