●パプア=ニューギニア
大洋州 パプアニューギニア AD
ニューギニア島のうち,東経141度線から東側,すなわちもとオーストラリア領であった部分が,1975年9月16日に独立してパプア=ニューギニアとなった。首都はポート=モレスビー。具体的にはニューギニア本土のほかに,ニューブリテン,ニューアイルランド島などのビスマーク諸島,マヌス島を中心とするアドミラルティ諸島,それにブーゲンビル島といった東北部の島々,トロブリアンド島,ダントルカストー諸島,ルイジアード諸島といった東南部の島々をも含むので東は東経160度まで,そして南北の幅は南緯2度から南緯12度にまで及び,総面積は46万1,690平方kmに達する。ニューギニア島はそのほぼ中央を東西にオーウェン=スタンレー山脈が走り,東側でも最高峰ウィルヘルム山の4,697mをはじめとする4,000m級の高山があって,赤道直下の熱帯気候のもとで密林に覆われている。この山脈を境に,北側は旧ドイツ領ニューギニア,南側は旧イギリス領パプアであったが,パプアの部分は1906年にオーストラリア直轄領となり,第一次世界大戦後の1914年には旧ドイツ領の部分もオーストラリア委任統治領に,第二次世界大戦後は引き続いて信託統治領となっていた。1949年,この領域を合わせて統治する政府ができ,さらに1971年,統合して独立する過程でパプア=ニューギニアという名称ができた。独立後の現在は行政上,首都圏のほか,中央・モロベ・マダン・東セピック・西セピック・エンガ・東部山岳・西部山岳・南部山岳・ミルン湾・湾岸・西部・北部の各州と,島嶼部のマヌス・東ニューブリテン・西ニューブリテン・ニューアイルランド・ブーゲンビルの各州の計18州に分かれる。人口319.2万人(1983)。うち,ポート=モレスビーに12.3万人が住む。以下,ラエ・マダン・ウエワク・ラバウル・カビエン,キエタ・アロタウ・ダルーといった主要な地方都市は定期航空路によって結ばれ,それぞれ近代化が進んではいるが国土の大部分はまだ開発が進んでいない。産業としても輸出できるのはコーヒー・ココア・コプラの農産物,および林産物・水産物といった第一次産業が主であるが,ブーゲンビル州のパングナの銅鉱も重要な輸出品である。住民はメラネシア系の黒色人種で,言語を異にする七百余の部族に分かれ,それぞれが深い谷や密林の間に伝統的な部族社会を構成したまま,今世紀初頭まで外部の人間と接触しなかったものもあるため,「石器時代そのままの生活」「最も獰猛な人喰い人種」「野蛮な未開社会」というレッテルで人類学・社会学・宗教学の対象とされてきた。一方でセピック地方を中心に独自の彫刻芸術も知られている。言語を一にするものをピジン英語でワン=トクと言い強固な仲間意識をもつが,独立とともにそのピジン英語を公用語として全土をワン=トクと考えようという政策が浸透し教育制度も整った。ポート=モレスビーにある国立のパプア=ニューギニア大学はもとのオーストラリア国立大学パプア=ニューギニア研究所を母体としたものであり,そのほか,ラエには工科大学がある。もとの宗主国,イギリス・ドイツもそれを引き継いだオーストラリアもキリスト教布教に力を入れたので,各地の開発には最初からミッショナリーがかかわった場合が多く,その宣教史は当時の住民の敵意と気候風土の悪条件とに阻まれて幾多の苦難を味わったものである。一方,第二次世界大戦ではオーストラリアを中心とする連合国軍と日本軍との間に激戦が繰り広げられ,ニューギニア本土のポート=モレスビー周辺,ニューブリテン島のラバウルやブーゲンビル島では原住民をも巻き込んだ戦禍がまだ消え去ったとは言えないところもある。
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