●バナバ問題 バナバもんだい
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バナバというのは,欧米人にオーシャン島(日本では大洋島)と言われた島で,現在ではキリバス共和国の領土に属している。リン鉱石の産地として20世紀初頭から,約260km西方のナウルと並んでイギリス・オーストラリア・ニュージーランドの三国政府の構成した英国リン鉱委員会の管理下に置かれた。しかし,太平洋戦争中は日本軍に占領され,島民たちは旧南洋群島委任統治領の島々などに送られた。1945年連合軍はバナバ島を日本軍から奪回したが,英国リン鉱委員会は島民たちをバナバ島に帰さず,フィジー諸島のなかのランビ島に居住させた。リン鉱石枯渇後のバナバ島は,農業に不適当なので生活しやすいランビ島に移住させたというのが,英国リン鉱委員会の考え方であった。1,003人のバナバ島民は,1945年12月15日にランビ島に上陸した。英国リン鉱委員会は住民投票を行って,彼らにランビ島永住の意思があるかどうかを確かめたが,その結果は,将来バナバ島に帰って住む権利を留保した上でランビ島を第二の故郷にする用意あり,というのが圧倒的多数の意見であつた。
しかし,バナバ島のリン鉱石探掘は再開され,ギルバート諸島やエリス諸島からの労働者が,1947年には2,060人,1953年には3,066人バナバ島で生活しているのに,土着のバナバ島民は帰っていけないという不満がしだいに強まってきた。そして姉妹島ともいうベきナウルの島民は自分の島に戻り,鉱区使用料の大幅引上げを要求したのを知って,バナバ島民もまず鉱区使用料引上げを要求した。1966年に回答を得たが,それはナウルより低い引上率であったため,イギリス政府に1900年にさかのぼっての差額を要求した。
ナウルでは,1967年に同島の英国リン鉱委員会の全資産を国有化することになり,1968年1月にはナウル共和国として独立した。このことを契機に,そしてギルバート=アンド=エリス諸島植民地からエリス諸島が分離を要求したことに刺激されて,バナバ島をギルバート諸島から分離させナウルと同様に独立を達成したいという世論が高まった。
バナバ島民のギルバート諸島への反感は,鉱区使用料の百数十倍ものリン鉱業関係歳入が,ギルバート諸島に占有されていることで強まった。そこでバナバ島民代表は大型モーターボートで,ランビ島からバナバ島に帰ったが,ギルバート諸島政庁はバナバ島を封鎖地区に指定し,バナバ島以外で生まれたバナバ島民の入国を禁止した。
1976年6月にギルバート諸島政庁は,バナバ島民に15項目の提案を行った。それはバナバ島への帰島・フィジーとの二重国籍取得・バナバ自治政府樹立などであったが,バナバ島民はその提案を拒否した。
その後もバナバ島民は,鉱区使用料の問題,ギルバート諸島からの分離独立問題で,イギリス政府やロンドン高等裁判所で争い続けたが,その要求は一部しか認められないまま,ギルバート諸島がキリバス共和国として1979年7月に独立したとき,その領土の一部ということになった。バナバ島民はその後も要求を撤回していないが,バナバ島のリン鉱石は1979年中に掘り尽くされてしまった。バナバ島民の最大の武器であったリン鉱石収入は,その後は入ってこなかったわけである。