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●ハディース

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 情報・伝承を意味するアラビア語。イスラームではとくに預言者ムハンマドの言行(スンナ)に関する伝承を言う。そればかりでなく彼の優れた教友に関するものも含まれる。そのほか預言者ムハンマドが,直接アッラーから伝え聞いたことばとされているものもある。一般の伝承の内容は預言者のことばであるが,この種の伝承の内容は神のことばであるため,〈聖なる伝承(ハディース=クドゥシー)〉として,とくに価値の高いものとされている。これは神のことばであるが,『クルアーン(コーラン)』の一部とはみなされない。

 また個々の伝承は,本文(マトン)と,それを伝えた伝承者たちの名を列記した部分から成り立っている。

 632年,世に容れられた預言者ムハンマドは,多くの信徒に見守られて他界した。その後彼が仲介した教えは,その高度な原理性のゆえに爆発的な力をもって広がり,いわゆるイスラーム帝国成立の原動力となった。同時に彼の生前の言行は,周囲の信徒たちにより詳細に記録され,厳密な校訂を経た後に〈ハディース〉の形にまとめられた。

 ハディースは預言者が奨励・禁止・黙認した事柄に関する彼のことばあるいは集大成である。同時に預言者の言行を実際に見聞した彼の教友に始まって,言い伝えられてきた伝承の経路が明示されている。個々の伝承の信頼性・真実性をその内容,伝承者の質からつぶさに検討し批判するハディース学は,イスラーム学の中で重要な一分野を占め数多くの伝承集が編み出されている。

 充分な準備期間がなく急速に拡大したイスラーム共同体は,次々に新たな問題に直面せざるを得なかった。その際『クルアーン』を唯一の典拠として生起する諸問題を解釈することが困難になり,人々は預言者の生前の言行を,クルアーンを補う典拠として用いるようになった。聖典の精神を具体化した言行は,種々の解釈を下す規範として有益であり,7世紀の終わりごろからその活用が行われている。ただしハディースの内容・伝承経路が吟味され権威づけられるのは,8世紀後半に入ってからのことである。

 ハディースの信憑性がはかられる際には,まず本文の内容がイスラームの精神に則っているか否かという点が吟味された。それと同時にそれを伝えた経路(イスナード)が信頼するに足りるものか否かという事柄が検討された。その際学者たちは,伝承者各人の生活態度・敬虔さ・能力に至るまで詳細に調査し,一連の鎖の一部分つまり伝承者のある者が一度でも虚偽を述べている場合,その余の伝え手がすべて信頼に足る者であってもそのハディースを真正なものとはしていない。

 ハディースがクルアーンに次ぐ第二の法源として確立されるに当たっては,法学者シャーフィイーの貢献するところ大であった。彼は,「クルアーンが〈書物〉と〈叡智〉について語る際,それはクルアーンとハディースをさすものである」とさえ述べている。第二の法源としてのハディースの地位の確立はまた,イスラーム世界内での統一的な法体系の確立に直接つながるものであった。

 初期のハディース集は,ムスナドと呼ばれるもので各教友ごとの伝承を集めたものであった。この形式のものとしては,アフマド=イブン=ハンバルのものが最も良く知られている。ただしこの形式のものは,問題解決の典拠として該当項目を検索するのにきわめて不便であった。その結果9世紀になると項目別に分類されたハディース集が編さんされるようになる。スンナ派の間ではこれらのうちの六つが,最も権威あるものとして認められることになった。その編者は,アル=ブハーリー・ムスリム・アブー=ダーウード・アッ=ティルミズィー・アン=ナサーイー・イブン=マーッジャである。

 またシーア派は,伝承の鎖が必ずアリーとその一族にさかのぼるもののみを認めている。そしてアル=クライニー・アル=バーブーイェ・アッ=トゥーシーなどのハディース集を最も権威のあるものとして認めている。

 在来の欧米の研究者は,ほとんどこのハディースの信憑性を全面的に否定してきた。しかしイスラーム世界においては,信徒たちはそこに盛られた人間・預言者の言行を尊重し,彼らの思想・行動の鑑としている。「自分自身を愛するように兄弟(同宗の徒)を愛するまでは,誰一人信者ということはできない。」このようなことばの信憑性を否定した場合,正確なイスラーム認識は存在し得ないのだが……。