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●抜歯 ばっし

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 人の健康的な歯牙を成年式や婚姻といった社会的な理由のもとに抜き去るという習俗は,後期旧石器時代に始まった。抜歯を行っている地域は広く時代も長い。アフリカ・オーストラリア・東南アジア・台湾などでは今世紀になっても見られ,男女ともに行われた。

 日本では縄文時代から弥生時代にかけて盛行したことが,出土人骨から明らかになっているし,ごく一部では近年までも残っていたと記録されている。縄文時代でも前期から中期の出土人骨に下顎切歯を抜き去った例が知られているが,系統的にたどることができるのは,東日本の中期末から後期中葉のものが他地域に先がけての例として確認されている。このころの抜歯実施率はすでにかなりの割合となっている。後期後葉となると,西日本の遺跡出土の人骨にも抜歯が普及していたことが認められる。そして晩期には最盛期を迎え,抜去本数も多くなった。弥生時代にも引き継がれ,前期・中期の人骨に抜歯が施されている。

 縄文時代・弥生時代を通して抜去の対象となった歯は,切歯・犬歯・第1小臼歯である。これは,口を開ければ,他者に一目瞭然でわかる範囲の歯が抜歯の対象とされていたことを示している。集落の構成員に対して,個人の存在を示すものであったならば,このように見極めやすい歯が対象となったのは当然であろう。縄文時代・弥生時代の抜歯例は,14,5歳以上の人骨に施されているらしい。縄文時代例の愛知県吉胡具塚・岡山県津雲遺跡出土の若年期(15〜19歳)の人骨に抜歯があり,弥生時代例の鹿児島県広田遺跡のそれは14,5歳のものには抜歯例があるが,13歳くらいのものには例がないという。

 縄文晩期には14本も抜歯をしている例がある。この例は,一度にすべての抜歯を行ったものとはとても考えがたい。抜歯にまつわる儀礼が一回だけのものではなく,幾度も繰り返してなされた結果として,このような多数の抜歯個体が残されたのであろう。文献に残されたものや現代の聞きとり調査から,抜歯が行われる機会は,成年式(アフリカ・中国・オーストラリア・台湾・日本)・結婚式(台湾)・葬式(中国・ハワイ諸島)などの際であった。これは社会的に個人の存在する位置が変化する儀式に伴ってなされる。こうした通過儀礼と抜歯のかかわりが,縄文時代・弥生時代の抜歯にも想定できよう。

 抜歯には,切歯・犬歯・第1小臼歯のうちにどの歯を抜くか,またどういった組み合わせで抜くか法則性があり,抜き去る歯の位置によって分類される型式には,儀礼の種類,所属する集団の違いなどが反映していると仮定される。ここに,抜歯の型式を分析することによって,その集団や社会のあり方を追究することができるという予測が立てられることとなる。

 抜歯と関連する歯牙変形のなかで,叉状研歯という特殊なものも見られる。愛知県伊川津貝塚出土人骨には,上顎の切歯4本を縦方向に磨り減らして,2叉または3叉に変形させてある。この叉状研歯を大阪府国府遺跡から出土した人骨から見出して,最初の指摘を行ったのは小金井良精であった。その後,全国から20例程度の叉状研歯をもつ人骨が出土している。しかし抜歯の普及率に対して,叉状研歯はきわめて小さい存在であるといえる。何らかの特殊な意味をもっていたのであろう。抜歯は集落構成員一人一人の関わる儀礼であるが,叉状研歯は集落の長とかミコであるとかいった特別な役割を果たしていた人物に施されたものであることがわかったのである。

〔参考文献〕小金井良精「日本石器時代人の歯牙を変形する風習に就て」『人類学雑誌』1919

渡辺誠「縄文文化における抜歯風習の研究」『古代学12巻』4号,1966

春成季爾「縄文晩期の婚後居住規定」『岡山大学法文学部学術紀要』40(史学篇),1979