●機 はた
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むかしは木製の簡易な構造で直接手足を動かし,今では火力・電力・汽力により運転される。主として鉄製となり,手織機の初期のものは下機また居坐機,地機,いざり機とか神代機ともいった。地面に低く坐して織る機械であった。神代機はアイヌの機と共通している。きわめて単純なもので,ただアイヌが綜続を手であげるのに対し,下機は足縄であげるところが異なる。整経した経糸は千切は未定着で,織手の腰の腰帯でつけるので,経糸を開口させるときには腰を前に出し,緯糸を織込むときは後方にひいて経糸を張り加減とする。高機はまた上機・大和機・京機ともいい,高機・上機の名は下機の対照語である。近時つかわれている手織機がほとんど高機である。最初はもっぱら絹織物の製織に使用されたので絹機の名もある。下機との大きな相違は踏木で綜続が上下して杼道が開かれたりする。機には手機(手織機)と力織機と二つある。手織の機の形式には竪機,水平機,傾斜機の三つがある。この中で竪機は発展過程で最も古いものである。ヨーロッパ各地と西アジアに改良されたものが多い。水平機は経巻と布巻が地上に打ちこまれた杭に固定されているもので,織工は機の上に乗って移動しながら織りすすめる。このような機はアラブ諸国によくみられる。傾斜機は,樹木・杭などに経巻を固定し布巻が織工の腰で保持され,地面にすわっていざりながら織りすすめる。これは太平洋地域全体にわたっている。
日本の織機は弥生時代に入ってからあらわれ,登呂・唐古他にみられる。その形式は台湾原住民やアイヌのものとよくにている。機は中国より輸入されたものであり,いざり機,高機,空引機の順で発展している。とくに近世中期以降西陣の発展が機の改良に大きく影響し,高機へかえさせ,機業地町方を発展させている。近代的力織機の導入と過渡的改良もおしすすめられ,1877年(明治10),東京で開かれた第1回内国勧業博覧会は各地に改良織機を出品させている。またジョン=ケイにより発明された飛杼の技術導入で能率が上がっている。力織機は電力など動力により運転される織機で,1785年,イギリスのカートライトが発明して,産業革命をつくり出し,日本には1867年,鹿児島に紡機と共に100台も輸入されている。その後日本の産業革命が発展している。1966年(昭和41)には綿織機約42万台,毛織機3万2000台,絹人絹機25万台と世界有数の台数をもち,内需輸出に各種の織機生産している。日本独自のものとして,豊田佐吉が1897年(明治30),力織機を完成した。織機の製作も繊維工業も発展し,1967年には生産総額157億(4万3,000台)で国内需要のほか約20億を輸出している状況にある。