●支倉常長 はせくらつねなが
アジア 日本 AD1571 室町時代
1571/1572〜1622(元亀1/2〜元和8)仙台藩士。幼名を与市。六右衛門と称した。常長の名で知られているが,自署は長恒。藩主伊達政宗は,徳川家康と軌を一にしてノビスパン(現在のメキシコ)との貿易を企て,常長をノビスパンを支配するスペインおよびローマ法皇に派遣することとした。1613年(慶長18),常長は家康の使者でフランシスコ会士のルイス=ソテロとともに奥州月ノ浦を出航。3カ月ほどでノビスパンに到着,翌年末マドリードに入った。マドリードでは,スペイン王フェリペ3世に書状を渡すとともに,受洗してもいる。洗礼名はドン=フェリペ=フランシスコ。1615年(元和1),ローマに入り,法王パウロ5世に謁見したが,スペイン政府は日本がキリスト教を弾圧しているのを知って,ノビスパンとの貿易を拒否した。常長は目的を果たせないまま1620年(元和6)帰国。恵まれないまま死を迎えた。常長の太平洋横断は,1610年の京都の商人田中勝介(勝助)についで日本人として2人目。
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