●長谷川等伯 はせがわとうはく
アジア 日本 AD1539 室町時代
1539〜1610(天文8〜慶長15)桃山時代の画家。等伯の出自は明確でない。武家の出身で染色業を営む長谷川宗清(法名道浄)の養子になったという説が有力。雪舟の弟子の等春に学んだ父宗清から絵の手ほどきを受け,信春(しんしゅん)と号して仏画や肖像画を描いた。1571年ごろ,京へ出て狩野派に学んだが,室町水墨画の雪舟に傾倒,さらに宋の牧渓(もくけい)に学んで一派を形成した。信春を改め等伯と号したのは,雪舟等楊にちなむものであり,彼は自ら雪舟五代を称して狩野派などに対抗した。等伯の円熟期は50歳代で,水墨画の名作,妙心寺竜泉庵の『枯木猿猴図』や東京国立博物館の『松林図屏風』,濃絵(だみえ)の智積院障壁画はこの時期の作である。智積院の絵は,豊臣秀吉が1592年(文禄1)に建立した祥雲寺にあったもので,『楓図』は等伯54歳,『桜図』は子息久蔵25歳の作。等伯の話を日通上人が書きとめた『等伯画説』は,日本最初の画論である。