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●八思巴 パスパ

アジア 中華人民共和国 AD1235 南宋

 1235〜80 中国元朝チベット仏教サキャ派の高僧。本名,ロゲルツェン=ペルサンポという。幼児から聡明であったので,チベット語で“聖者”を意味するパスパまたはパクパの敬称で呼ばれた。

 サキャ派の宗祖はコン=コンチョク=ギエポ(1034〜1102)で,シガツエの南西約80kmのサキャに本寺を1073年に建立したのが始まりで,古派の修行は至難なものであるとして,秘密新派の観行を提唱して一派をたてたものである。それ以来,サキャ派はラマ旧派のなかでは最も勢力をもち,宗門の法主職は世襲制によって継承されてきた。サキャ派と蒙古との関係は1206年,チンギス=ハンのチベット攻略のときから始まり,パスパは1240年,蒙古勢力に征服された当時,チベットで実権をもっていたサキャ寺法主サキャ=パンディタの甥にあたった。1246年,ゴダン王に召喚された伯父とともに涼州にいたり,即位前のフビライ=ハンの信任を得ること厚く,1253年その授戒の師となった。またチベットにおけるサキャ派の優位を承認させた。1260年,フビライが元朝皇帝に即位すると,国師に任ぜられ,チベットならびに西夏所領の政教両権と,蒙古帝国全体の仏教行政権を与えられた。彼は僧侶の力役,納税に特権を認めさせ,一時帰国したがすぐ召還され,1269年には,チベット文字にもとづいてパスパ文字を創案した。

 パスパ文字はその形から方形文字とも,また多角文字とも呼ばれる。この文字は父音33文字,母音10文字,9記号からなっていて,チベット字の形を少し改め,蒙古語その他の言語の音を表すための字母を多少増加したものである。文章は縦書きで,行は左から右へ追う。右側に漢字で音を示す。この文字は蒙古語ばかりでなく,中国語,チベット語,梵語,チェルク語を書く場合にも使用された。蒙古国字として1269年に採用され公布されて,パスパはその功によって1270年,“帝師大宝法王”の号を賜った。これは皇帝の師として元朝歴代の皇帝に戒を授け,直轄の総制院を掌握して元帝国全体の宗教界に君臨する立場に立つことであり,その命令は皇帝の詔勅と同じような権威があった。パスパ文字で書かれた文献は,元の成宗皇帝の聖旨碑など勅命を刻んだ碑文が多く,ほかにはいくつかの牌子があるだけで,紙などに書かれたものは破片が少し残っているだけである。国字として登用されたにもかかわらず,早書き用に適さないということや,蒙古人のあいだに行われていたウイグル式蒙古字や中国人の漢字にはばまれて広く普及はしなかった。元朝の滅亡とともに,チベットのダライ=ラマの印璽などの例を除いては消滅した。

 元朝の勢力を背景としたサキャ派は,チベット全土において政教両権を掌握し,大いに繁栄した。この派の教学の特徴は,具縁派一派の空観をもって密教を解釈しようとするもので,ラムデ教義といわれている。歴代のサキャ派の菅長が残した著書として『サキャ班底多歴世全書』が約50帙残されており有名である。しかしこの派も元朝の衰退とともにその勢力は退潮し,リゴン派との対抗や,14世紀末から始まった改革派黄帽派の隆盛によって,現在ではサキャ寺などのある一地方だけのものとなった。

パスパは,1247年に帝師の地位を弟のリンチェン=キェルツェンに譲り,チベットに帰国したが,以後元朝の帝師は元末までサキャ派の法皇が世襲する慣例となった。また彼は在職中皇太子真金(ちんきん)のために『彰所知論』2巻を著して講義した。そのほか,経典の翻訳,校訂を行い,蒙古語訳『大蔵経』翻訳完成の基礎をつくるなど,仏教興隆の活動に力を入れた。美術面でも大きな足跡を残した。ネパール人のアニゴ(阿尼哥)を招聘して,インド・ネパール様式の彫像や工芸を広く伝えさせるなどして文化事業面に貢献した役割も見逃せない。