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●バスケットボール

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【起源】バスケットボール=ゲームは意図的に創造されたという点でほかの球技と比較して発生の経緯が明確なものである。1870年当時,アメリカの学生のなかで人気のあるスポーツは陸上競技とフットボールなどの屋外スポーツが中心となっていた。しかしながら,これらのスポーツは雨天や冬期には運動欲求を満足させることができなかった。そこで雨天でも冬期でも体育館で誰もが満足できる新しいスポーツの発見創造を求めたのである。マサチュセッツ州スプリングフィールドの YMCA 訓練学校の体育部長であるルーサー=ギューリック博士はネイスミス(1861〜1939)と知り合い,1891年,体育指導者ゼミナールで室内ゲームの新しい研究責任者として委嘱した。そこでネイスミスは既存のゲームの要素を吟味し組み合わせ,新しいゲームを再構成することに成功したのである。

【創造の過程】ネイスミスは既存のゲームのなかで類似のスポーツのメリットとデメリットを考え,それをゲームの目的に合わせて再構成したのである。まず,フットボールのもつ粗暴さを制限し,ゴールはサッカーやホッケーのようにコートの両サイドに置いた。そして,岩の上にある石を下から投げて落とす子どもの遊び形式を導入した。最初は体育館の両端に箱を置き,このなかにボールを入れるゲームを試みたのであるが,箱を取り囲まれるとボールが入れられなくなり失敗に終わった。そこで,箱を高くしてみたりして工夫し試行錯誤を繰り返した結果,ゴールは古い桃の籠(かご)をバルコニーの手すりに打ちつけることにした。そして,ルールはあくまでも粗暴な行為を制限することに主眼を置き,1チームの人数を9人とし,ボールはアソシエーションフットボールを使用してゲーム化することに成功したのである。

【発展】ゲーム化が完成したのは1892年1月であり,これが YMCA の組織を通じて全国に普及していったのである。アメリカで開発されたバスケットボールのゲームは,やがてカナダ,メキシコ,ブラジル,アルゼンチン,チリなど南北アメリカへと伝播し,さらにソビエト,フランスに普及した。こうした流れのなかで世界バスケットボール連盟が1932年に設立されたのである。そして,1936年のベルリンオリンピック大会からオリンピック正式種目として認められた。日本への移入は1908年(明治41),アメリカのスプリングフィールド YMCA 訓練学校を卒業して帰国した大森兵蔵によってもたらされた。大森は東京・神田の YMCA,目白の日本女子大学でバスケットボールを紹介し指導を行った。一方,山本邦彦によって東京 YMCA の敷地にオープンコートがつくられたりした。こうした普及活動のなかで組織立てられた紹介は1914年(大正3),アメリカのブラウン(F. H. Brown)が神戸の YMCA で行ったのが最初とされている。それ以後,京都,横浜,東京を中心に全国にひろまっていった。こうしたなかで李想白は1930年(昭和5),わが国で初めてのバスケットボール指導書『籠球指導の理論と実際』を出版した。これは日本におけるバスケットボール技術のバイブルとして尊重された。日本バスケットボール協会はこの年に設立され,それ以降の日本の技術はめざましい進歩をとげ,1939年(昭和14)には世界2位のカナダ=ウェスタンチームを打ち敗る技術水準にまで達している。しかし,こうした技術も1942年(昭和17)には第二次世界大戦の激化とともにバスケットボールが外来スポーツであるという理由により競技用語も外来語の使用が禁止され日本語に直されるなど政治的圧迫を受け衰退の一路をたどった。そして,1945年(昭和20)まで3年間は国内試合も中断するという悲劇を生んだのである。その後,1945年(昭和20)になって富田毅郎を中心に全国協会設立準備委員会が組織され,日本バスケットボール協会を再発足させている。このように戦争は大衆のスポーツをも阻害する。

〔参考文献〕日本体育協会監修『現代スポーツ百科大事典』1970,大修館