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●場所請負制度 ばしょうけおいせいど

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 松前藩主や藩士が所有する蝦夷地各場所における,漁業や対アイヌ交易などの権利を,有力商人に,特権的に請け負わせた制度。松前藩では17世紀初頭より,蝦夷地の特定地域の交易権を知行として藩士に給付する“商場知行制(あきないばちぎょうせい)”を行っていた。18世紀初頭にいたり,交易の複雑化あるいは資本的・技術的困難さのゆえに,場所の経営は徐々に商人に引き継がれていった。その後,藩財政の困窮から藩主の直領までも商人の手に移り,蝦夷地の経済活動はすべてこれら特許商人達の手中に入った。請負の形態は一定額の運上金を納め,期間を限って契約し,場所には運上家(うんじょうや)を設け,支配人,通辞,番人を置いて経営を行った。場所の経営には大資本を要し,また出産物を他国に販売する必要から,近江商人を初め他国の有力商人が多く請負人となった。彼らは積極的に漁船・漁法を改良し,海産物の保存法と新商品の開発を行い,蝦夷地産物の販路を奥羽,北陸,近畿,江戸へと拡張し,場所も沿岸地域から内陸さらに千島・樺太へと開いていった。航海の危険,異民族との取引の困難ばかりでなく,請負人には種々の御用金・借上金が課され,しかも契約はいつ破棄されるかわからない不安定なものであったため,勢いその活動も極端なものとなった。交易にあたり無防備ともいえるアイヌに対し,交換比率の不当,勘定の不正,果ては暴行,略奪に等しいこともあった。とくに漁場労働においては奴隷的に酷使され,なかには冬場を凌ぐ食糧さえ得られず餓死したものもいた。1789年(寛政1),国後・目梨におこったアイヌ民族の蜂起は,こうした場所請負制の矛盾にむけられたものである。漁場での酷使と伝染病の流行によりアイヌの人口は,文化年間(1804〜18)2万6,000人余であったのが安政年間(1854〜60)には1万8,000人へと減少した。場所請負制度は大規模漁業を導入し,過去においては単に交易対象であったアイヌを労働者へと転落,隷属させた。その反面,蝦夷地産物を日本の主要な流通過程に位置づけて,蝦夷地そのものを幕藩制国家内の経済圏に結びつける役割を果たした。