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●白ロシア共和国 はくロシアきょうわこく

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 ソ連を構成する共和国の一つ。面積20万7,000平方km,人口約950万人,首都はミンスク。1919年1月1日建国され,1922年12月30日,ロシア・ウクライナ・ザカフカース共和国とともにソヴィエト社会主義共和国連邦を形成した。国連に議席もある。

【国号】白ロシアの「白」(ベールィイ)は,「西」を意味するという説のほか,同地方が10月から翌年4月にかけて深い雪におおわれること,その住民が古くから白い着物を身につけ金髪で自い皮膚をしていたこと,同地方のベラヤ川,ベリャンカ川などの川の名,ベーリスク,ベーラ,ベロストークなどの町の名に由来するなどの諸説がある。最も有力な説は,その「白」が「自由」を意味し,13世紀蒙古人の侵入時,その支配を免れた自由な地方とする説である。「白ルーシ」という呼称は,1351年のハンガリア王ルイ1世の同地方への遠征を伝える『ハンガリア年代記』に初めてみえるとされる。14世紀,1390年代のヤンコの『ポーランド年代記』のなかにも,この名称は姿をみせる。

【住民】この国の主要構成民族は白ロシア人で,ロシア人(革命前の大ロシア人),ウクライナ人(小ロシア人)とともに,東スラヴ人の3大支系の一つを構成するが,ほかの東スラヴ人のようにフィン系やトルコ系種族の影響を受けず,純スラヴ系の人々もいる。『ロシア年代記』にみえるクリヴィチが,その古い種族名と思われるが,その北西部の住民はポロチャーネ(ポロタ川沿岸の人々),南部の住民はドレゴヴィチ(湿地帯の人々)とも呼ばれていた。なお,ロシア革命後の白系ロシア人とは「自由主義的ロシア人」ということで,民族名の白ロシア人とは区別されなければならない。

【国土・産業】西はポーランド,東はロシア連邦,南はウクライナ,北西はラトヴィアとエストニアと境を接する。国土の中央部やや北寄りに白ロシア丘陵が東西にのび,西ドヴィナ・ニエメン・ドニエプル水系の川と運河が国内を縦横に流れ,湖沼と湿原に恵まれた平原がひろがる。農業は昔からの伝統で,小麦,じゃがいも,亜麻などはおもに北部に産し,南部では革命後湿地帯の改良工事が進み畜産も盛んである。革命後,工業化が進められ,ソ連内で最も工業の進んだところとなった。自動車・タービ生産などの機械工業,木材加工を主とした化学工業,そのほか織物,食品工業,家電製品,カメラ,時計などの生産も発達している。東西交通の要地で,スモレンスク―ミンスク―ブレストを結ぶスモレンスク街道,南部のプリペチ川ルートは古くから,ロシアとヨーロッパをつなぐ重要な交通路であった。

【歴史】西ドヴィナ川はノルマン人のバルト海からロシア内陸への通路の一つであったが,10世紀この地につくられたポロツク公国は,ノヴゴロド公国,スモレンスク公国などとともに,キエフ大公国内の一公国としてバルト海沿岸地方との交易・商業で栄えた。13世紀後半以後,白ロシアリトアニア大公国の支配を受け,のちリトアニアとポーランドの合体(1386,完全合体は1569)によりポーランド領となった。18世紀後半のポーランド分割により,1772年に東部,1793年に中央部,1795年に西部がロシア領となる。このとき,この地方はポーランド支配から解放されたという意味で明確に「白ロシア」と名づけられたが,1830〜31年のポーランド反乱後「西ロシア」と改名された。1917年のロシア革命後,ソヴィエト政権が生まれ,1919年に白ロシア共和国が誕生し,1922年12月,ソ連を構成する一共和国となる。1939年,独ソ不可侵条約締結後のソ連軍のポーランド進駐のとき,今日の白ロシア共和国の西部がその領土に加えられ,領域は2倍となった。白ロシアはロシアヘの玄関口であるところから,19世紀初めのナポレオンのロシア遠征軍,ロシア革命直後のドイツ軍,その撤退後はポーランド軍の侵入を受けたが,独ソ戦争時にはナチス=ドイツ軍の侵入を受け,国土のほとんどが破壊され,住民の4分の1が失われた。