50音順    検 索

●ハーグ密使事件 ハーグみっしじけん

アジア アジア AD 

 韓国が日本の併合政策に抵抗してハーグ平和会議に独立庇護を要請する密使を送った事件。日露戦争中から日本の韓国支配は急速に進められ,とくにポーツマス条約後の1905年(明治38)11月,第2次日韓協約(日韓保護条約)で日本は韓国の外交権を掌握した。これに対して李容泰,沈相薫,金嘉沈ら排日派はイギリス人ベッセル,アメリカ人ハルバートらとはかり,海外同志の李学均,李範晋らと連絡し,列国に韓国の独立維持を訴えようとした。まずロシアの意向を打診したが,イスヴィルスキー外相が本野一郎駐露公使に通告したためこの計画は失敗した。そこでおりから1907年6月,オランダのハーグで開催中の第2回万国平和会議に韓国皇帝の密使を直接派遣し,独立庇護を提訴することを計画し,韓国全権委員として会議参加を企てたが,韓国の利益は条約によって日本政府が代表しているという理由で拒絶された。ハルバートはさらにアメリカ大統領に皇帝の親書を呈したが,これも取り上げられなかった。この事件を契機として日本は韓国皇帝を退位させ,7月,第3次日韓協約を強要して韓国の内政権をも手中におさめた。