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●白鳳文化 はくほうぶんか

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 7世紀末ごろを当時の私年号にもとづいて白鳳時代といい,その時代の文化を白鳳文化という。この時代は,天武天皇らを中心として新しい文化が興隆し,文化史上重要である。仏教信仰が宮廷や貴族のあいだに流行し,それに伴う文化が興隆した。また文学面でも特徴のある時期である。

【仏教とその文化】皇室が仏教信仰にふみきったのは舒明天皇のときで,その時期に百済川のほとりに百済寺が皇室の寺として建てられ,天武天皇のときに高市郡(現在の明日香村)に移して高市大寺と改称し,また大官大寺と改称した。また,天武天皇は皇后の病気平癒を祈って薬師寺の建立をはかった。高市大寺・薬師寺という皇室の寺が,白鳳時代には重要な寺院として存在したのである。658年(天武13),貴族達は天皇から,家ごとに仏舎を作るように命令された。皇室では宮中に「御窟院」を造った。これは洞窟寺院になぞらえて造った仏舎である。当時の仏教には,伽藍仏教私宅仏教とがあったが,「毎家作仏舎の詔」は私宅仏教の隆盛を示すもので,白鳳時代にはそのいずれもが隆盛であった。仏像としては薬師寺金堂の本尊薬師如来が,漆黒のブロンズの仏像で,力のこもった表現をみせ,白鳳時代の仏像の代表的存在となっているが,この像を天平仏であるとする見解もある。薬師寺にはまた東院堂の聖観音像があり,これも白鳳仏として知られている。仏像彫刻における柔らかい顔付や,体を瓔珞で飾る作風は,白鳳時代から始まる。薬師寺の東塔は裳階のついた三重の塔で,その水煙には天女の舞う姿が示され,優美なことで知られている。貴族の家ごとに仏舎を造ることが義務づけられたので,そこに納める仏像として小型の金銅の仏像が,多く造られた。明治時代になって法隆寺から皇室に献上された,法隆寺四十八体仏といわれるものは,20〜30cmの小型の金銅仏が多く,当時の仏像の代表的な存在となっている。当時の大寺院であった飛鳥寺や薬師寺などには,織物に刺繍をして仏像をえがく繍帳が,壁にかけるか,天井からつるすかして,飾られていた。また,原型の上にうすい銅板をのせて槌でたたき出す押出仏や,粘土を雌型に押しこんでから出して乾燥させ,さらに火で焼いて固くするセン※注1※仏も作られた。押出仏とセン※注1※仏は,どちらも一つの型からいくつも作れることから,貴族らの仏舎に備えるために便利で,この時代に流行した。絵画にも豊潤な線と美しい色彩を用いたものがあり,法隆寺金堂の壁画や橘夫人の厨子絵などは,代表的な作品である。

【神道・神仏思想】神道もこの時代に発展し,壬申の乱が終わったとき,宮中に八神殿がつくられた。八神殿とは,御巫のまつる神産日神・高御産日神・玉積産日神・生産日神・足産日神・大宮売神・御食津神・事代主神を祭神とする八つの神殿で,その名は『延喜式神名帳』に出ている。これらは「むすび」の神や食膳の神を多く祭っている。神道のほか,神仙思想も行われ,道教の信仰もあり,宗教的雰囲気が,宮廷の内外にただよっていた。天武天皇は天文・遁甲の術をよくしたといわれ,陰陽道にも通じていたようである。この時代に,大和の南にある吉野は神仙境として尊ばれ,宮廷の人々の遊楽の場となった。そこでは拓枝の伝説が語られ,また詩歌が歌われるなどした。そこは,のちに後醍醐天皇が入った吉野とちがい,宮瀧の付近である。

白鳳時代の文学】『万葉集』には白鳳時代の歌人の歌が載せられているが,なかでも柿本人麻呂の歌がすぐれている。人麻呂は天皇や皇子の旅に従い,宮廷歌人として多くの歌をよんだ。『万葉集』には長歌・旋頭歌(せどうか)・短歌あわせて365首が載せられている。短歌もすぐれているが,とくに長歌に雄渾な特長をもつものがあり,大津の古都の荒れたのをなげいた作は有名である。また奈良時代の漢詩集である『懐風藻』には,弘文天皇,大津皇子白鳳時代の人々のすぐれた漢詩が載せられている。

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