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●バグダード

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 ティグリス河中流に位置するイラク共和国の首都。人口は320万(1979)といわれる。ユーフラテス川の水が運河に導かれて,ティグリス川に流入する地点のすぐ北方に位置するバグダードは,アッシリア時代にさかのぼる古いペルシア人の村落であった。ここに新帝国の首都を建造しようと試みたのは,ダマスカスに都を置くウマイヤ朝を倒して実権を握ったアッバース朝第2代カリフ,アル=マンスールである。両大河に抱かれたこの地域は,古くから運河が張りめぐらされており,ペルシア湾への要港バスラにも近く,軍隊の駐屯地としては最適であった。ペルシア語で“神の建設した町”を意味するといわれるバグダードは,これ以降長らく政治と文化の中心地となることを約束されていた。

 新都の建設は762年に始まり,4年後に完成した。町の中心は三重の城壁の外側に濠をめぐらせた円形城で,10万人の労働者と銀483万ディーナールを要したといわれる。中心に燦然と輝くドームをもつ“黄金門宮”と大モスクをもち,諸官庁,親衛隊駐屯所,カリフー族の館を控えたこの都は,強大なアッバース朝の栄光の象徴に相応していた。そして,中央アジアから北アフリカに及ぶ新王朝の基礎が固まるにつれて市街地も広がり,884年のころには現在のバグダード市の十数倍もの面積があった。住民の数も最勢時には150万人を超えたといわれる。経済的にも繁栄したこの都を中心にイスラーム史上最も輝かしい学芸の華が咲き,文化の黄金時代が展開されていった。

 唐の長安,ビザンツ帝国のコンスタンティノープルと並ぶ第1級の大都会は,王朝の力の低下とともに衰退の傾向をたどることになる。軍閥の横暴に伴う治安,財政の悪化により,住民たちの数は徐々に減少していく。それに追い討ちをかけたのが1258年のモンゴル軍の襲来である。フラグ・ハーンの率いる軍勢は,バグダードが無条件降伏したにもかかわらず,1週間以上も放火,掠奪,虐殺をほしいままにした。このときの死者は80万から100万にのぼるといわれている。その後このかつての大都市は,地方の1都市の地位に落としめられているのである。かくしてダマスカスからこの都へともたらされた文化の中心としての地位は,エジプトのカイロへと移っていく。

 その後ティムール朝,サファヴィー朝の支配下に入るが,16世紀にはオスマーン朝が,この地を狙い,戦乱の苦難を経験する。オスマーン朝の支配下に入ったのちは,その強権による搾取政策のために,バグダードは衰退の一歩をたどっていった。しかし,19世紀に入ると,トルコ人太守の開明的施政によって,徐々に力をもりかえした。第一次世界大戦後,イギリスは,サイクス・ピコ秘密協定をもとに,イラクの領有権を主張するが,民族意識の高揚に抗しきれず,1921年にハーシム家のファイサルを国王とするイラク王国が誕生した。その際,バグダードはイラクの首都とされ,以降その重要性は変わっていない。独立後,イラクの政権は不安定で,しばしばクーデタが繰り返されたが,共和制が敷かれたのちは,やや平静を保ち,数次の政権交代はあったが発展を続けた。バグダードも石油経済の恩恵を受けて,急速な近代化がなされた。