●白豪主義 はくごうしゅぎ
大洋州 オーストラリア AD
アジア太平洋地域に位置する人口希薄なオーストラリアを欧米人の国家として存続させるために使われた正当化の概念。発端は19世紀中ごろ,オーストラリアの金鉱ブームにさいして流入した安い中国人労働力の異常な増大であった。これにより白人労働者の賃金水準が低下する問題がおき,また生活習慣の違いによる両者間の社会的緊張が発生するなど,オーストラリアにとって中国人の存在は実生活を脅かすとの意識が強まり,“白人のための白人国家”をスローガンに中国人流入の制限を徐々に法制化していった。このように白豪政策は元来中国人を主たる対象としたものであったが,1890年代には日本人,インド人などほかの有色人種流入が加速化されたため,その適用範囲も拡大されていった。1901年に連邦議会で通過した移住制限法は白豪政策の集大成であり,以後半世紀にわたってオーストラリアの移民政策を規定した。本法は移民に対し欧州語の書き取り試験を採用したため,アジア系定住移民の入国はほとんど不可能となった。本法施行によりビジネスマンの訪豪も困難となったため,1904年,日本・オーストラリア間でパスポート協定が締結され,邦人ビジネスマン,学生,宣教師の短期訪豪が自由となった。ようやく第二次世界大戦後,1950年代後半から1960年代にかけて白豪政策の放棄が進められ,書き取り試験の廃止,労働党による白豪政策への決別,自由党政権下でのアジア系移民の受け入れが続いた。1970年代から1980年代にかけて,アジア系移民の増加傾向が一層強まり,オーストラリアは複合多民族国家へと変貌を遂げつつある。