●バウンティ号の反乱 バウンティごうのはんらん
ヨーロッパ 英国 AD1789 ハノーヴァー・ウィンザー朝
1789年4月28日未明,トンガ諸島海域を航行中のイギリス海軍武装輸送船バウンティ号上でおきた反乱事件。タヒチ島から西インド諸島へ,パンの木を輸送中であった。反乱の首謀者はフレッチャー=クリスチャンで,ウィリアム=ブライ艦長ほか18人をランチで追放した。ブライは約1年かかってイギリス本国にたどり着き,反乱を訴えた。反徒を捕えるためエドワード=エドワーズを艦長とするパンドーラ号が派遣され,タヒチ島にとどまっていた14人を捕えた。なお捜索をつづけながら帰国の途中,オーストラリアで遭難,反徒の4人が死に,10人が本国で裁判を受け,3人が絞首刑となった。一方,クリスチャンら9人の行方は知れずにいたが,1808年,ピトケアン島に立ち寄ったアメリカ船により,反徒の一人が生き残っておりクリスチャンらの消息がわかった。映画化されたりする有名な事件だが,反乱の動機については現在も論議の的となっている。