●パウロ
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1?〜60? 本来のユダヤ名はサウロ。初代教会最大の世界伝道者であり,キリスト教の根本問題を神学的に掘り下げ,展開させた貢献は大きい。生涯全体にわたる一次資料は少なく,『新約聖書』中,彼の回心と召命を証言する「ガラテヤ人への手紙」1:13〜2:14,「ピリピ人への手紙」3:5〜11などのほかは二次資料として「使徒行伝」を挙げうるだけである。しかし,パウロの年代決定については,ギリシアのデルフォイの町で発見された碑文から有力な手がかりが与えられている。パウロはイエスよりすこしおそく,紀元元年ごろ,キリキア(トルコ南東部・沿岸)のタルソに生まれたベニヤミン族出身の“ディアスポラ diaspora”(異境で生活する)ユダヤ人であるが(使徒行伝9:11,22:3),生地ではストアのヘレニズム的教育を受け,ギリシア語に熟達した。他方,青年時代を通して熱心に律法を学び,ユダヤ教に精進し(『ビリピ人への手紙』3:5以下),手に職をつけ(使徒18:3),ローマの市民権も得ていた(同22:28)。キリスト教徒ステパノなどによる神殿批判や律法無視に刺激され(同7:58,8:1),パウロは大祭司公認の資格をもってダマスコ地方の教会迫害に向かった(ガラ1:13以下)。が,その途上で,突如,キリスト教に回心した(32〜33年ごろ)。その直後,アラビア(ダマスコ南東)におよそ3年滞在。イェルサレム上京後,35,36年ごろから,激しく押しだされ,伝道に従事する。シリア(アンテオケ),キリキア地方を中心に異邦人伝道を行った後(同1:18以下,21以下参照),苦難に満ちた伝道旅行を敢行(第1回,47〜48。第2回,50〜52。第3回,53〜56),イェルサレムからついに帝国首都ローマにいたるが(58,59年ごろ),60年前後に殉教したと思われる。
パウロは「書簡」という文学様式を用いて,キリスト教の真理を伝達した最初の人物であるが(上記2書のほか「第1テサロニケ」「第1,2,コリント」「ピレモン」「ローマ」の各書参照),これら全編が,『新約聖書』に固有な「福音」(メッセージ)を正しくきき分けることへの,教理と倫理両面からする強烈な呼びかけ(アピール)の性格を帯びている。