●裴世清 はいせいせい
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生没年不明。隋の煬帝が日本に派遣した使者。裴氏は六朝時代以来、関中の大姓を代表する六姓の一つにかぞえられた名門で、当時世清は、『隋書』では文林郎(秘書省の役人)、『日本書紀』では鴻臚寺掌客(外国使臣の接待をつかさどる官庁の役人)の任にあったと記されている。607年(推古天皇)に派遣された遣隋使小野妹子らの帰朝にさいして、裴世清ほか隋使12人が同行し、世清は国書を携えた。608年6月朝廷は難波に新しい客館をつくり、難波津に飾船30艘、儀仗兵数100人をもって世清らを迎え同年8月入京して国書を奉呈したが、そのときの状況は大伴囓が国書を受けて天皇に奉上したとする『日本書紀』と、世清は天皇に謁見したとする『隋書』に異同がある。同年9月小野妹子らに送られて帰国したが、このとき南淵請安・高向玄理・学問僧旻らも同行し、隋に留学した。
〔参考文献〕井上光貞「飛鳥の朝廷」『日本の歴史』3、1974、小学館