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●俳諧 はいかい

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 日本の文芸形式。5音−7音−5音よりなる長句と,7音−7音よりなる短句を交互に並べ,36句連ねたものを歌仙,100句連ねたものを百韻といい,その1編を1巻と称する。通常,複数の作者によってつくられ,隣接する2句のあいだにのみ,意味や気分の関連があり,1巻全体に一貫するものはない。その最初の1句が独立したものが俳句であり,それに対して歌仙や百韻は連句と呼ばれる。

【法式】複数の作者が参加するものだから,公認された種々の決まりがある。第1句目を発句(ほっく),第2句目を脇,第3句目を第三といい,第4句目以下が平句(ひらく)である。また,1巻の最後の句を挙句という。発句はその時期の季語を詠みこまなければならない。脇は発句の季に従う。春・夏・秋・冬の句と,季節に属さない雑(そう)の句とからなり,1巻のなかに四季すべてが出てくることが望ましい。春と秋の句は1カ所で3句以上5句までつづけ,夏と冬の句は1句か2句にとどめ,つづけるとしてもせいぜい3句までとする。また1巻のなかには必ず恋の句がなければならない。恋の句は1句でやめることなく,2句以上5句まではつづけることができる。挙句は穏やかにまた軽やかに詠むのがいい。歌仙1巻中には花の句を2句,月の句を3句,百韻1巻中には花の句を4句,月の句を7句,それぞれ詠みこまなければならない。その場所もほぼ一定していて,花の定座(じょうざ)・月の定座という。もともと懐紙(かいし)に記され,歌仙はその二つ折にしたもの2枚,百韻は4枚を用いる。歌仙の場合はその2枚を初折(しょおり)・名残(なごり)の折といい,それぞれの表と裏に,6句・12句・12句・6句と記し,百韻の場合は,その4枚を初折・二の折・三の折・名残の折といい,それぞれの表と裏に,8句・14句・14句・14句・14句・14句・14句・8句と記すきまりであった。神祇・釈教・恋無常といった句や固有名詞などは,初折の表と名残の折の裏には避けるものとされた。

【歴史】俳諧は俳諧之連歌(はいかいのれんが)の略称である。俳諧は滑稽を意味し,正式の本連歌に対して,くだけた略式の連歌をいう。室町時代に連歌が完成するとともに,一方では自由な俳諧連歌が盛んに行われるようになり,それらは山崎宗鑑の『犬筑波集(いぬつくばしゅう)』・荒木田守武の『俳諧之連歌独吟千句(守武千句)』,さらには近年紹介された『竹馬狂吟集(ちくばきょうぎんしゅう)』によって伝えられている。江戸時代になると,松永貞徳を中心とする貞門俳諧が盛んになったが,ことばの遊びにとらわれ,新興勢力の西山宗因を中心とする談林俳諧と対立した。松尾芭蕉は,貞門談林の俳諧をのりこえたところに,詩趣に富んだ蕉風俳諧をうちたてた。芭蕉没後,俳諧は俗化したが,江戸時代中期に,与謝蕪村・加藤暁台らが特色ある作風を示し,中興俳諧と呼ばれた。その後,小林一茶のような個性的な俳人が現れたが,俳諧は広く普及する反面,平俗に陥り,のちに月並俳諧と呼ばれ,明治時代になって,それを否定する正岡子規らの新派俳句が現れることになった。

【現代的意義】正岡子規は,俳諧が複数の作者によってつくられ,一貫する意味内容をもちえないところから,近代的でないと考え,その発句だけを俳句として独立させた。そのため,俳諧の主要部分である連句は文芸の第一線から退き,一部の人々によって趣味的に受け継がれることになった。たしかに連句は,近代的な個我の表現には不適当であるが,それだけに,近代文学の失った座興の楽しみを色濃くもっているもので,そこに洗練された感覚や,人生の断面についての鋭い観察を含むものがある。だから連句は,個我の表現を中心として発達してきた近代文学にはない新鮮さが認められ,近年,一部の作家・詩人・評論家によって再評価され,試作されている。また数種の入門書も刊行され,愛好家によって専門の雑誌も出されている。