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●ノルマン朝 ノルマンちょう

AD1066 

 1066年にウィリアム1世がイングランドを征服して開いた王朝で,1154年にプランタジネット朝に代わるまで4人の王が交替した。この間,イギリスでは中央集権的封建国家が確立するとともに,フランスとの複雑な関係が生じ,のちの英仏抗争の種子がまかれた。反面,イギリスにフランス的・大陸的文化要素がひろまったのもこの時期である。

ウィリアム1世征服王,在位1066〜87)】ノルマンディー公であった彼は,イギリス王位継承権を主張してその征服に成功し,ノルマン朝を開設した。やがて彼はイングランド全土を完全に制覇するとともに,反抗したアングロ=サクソンの大土地所有者から領地を没収してノルマン貴族に分与し,王権主導型の封建制度を固めた。また,租税台帳・土地台帳としてのドゥームズデー=ブックを作成したことでも知られる。さらに彼の治世には,王権直属の貴族らが「王の会議」に列席するようになり,イギリス独特の議会政治の原型が生まれた。

ウィリアム2世(在位1087〜1100)】ウィリアム1世がフランス王との交戦中に没すると,長子ロベールはノルマンディー公の地位を継ぎ,次子ウィリアムがイギリス王に即位した。彼の苛酷な支配に対し,ウェールズを中心とした諸侯らが反抗したが,統治の改善などを約束してこれを抑えた。一方,彼は教会に対する国王の支配権を主張し,一時,カンタベリ大司教管区を管理してその収益を収用したりした。実在論を説いたスコラ哲学者アンセルムスは,ウィリアム2世によりカンタベリ大司教に任命されたが,やがて王との衝突をおこし,大陸へ追放された。ウィリアム2世は直情的性格で,兄のロバートともしばしば争ったが,狩猟中,何者かの矢で倒された。

【ヘンリ1世(在位1100〜35)】征服王の末子であった彼は,兄ウィリアム2世が殺害されると直ちにあとを継いだ。ノルマン朝の集権的体制が完成したのは,この王の治世である。彼は優れた教育を受け,ラテン語を読み書きし,法学をも修めていたという。彼は貴族たちの既得権尊重を約して彼らの支持を得,また,追放中のアンセルムスカンタベリ大司教に呼び戻して教会の支持も確保し,さらに,サクソン王家の血を引くマティルダを王妃にして,アングロ=サクソン系の人々の信望を得ることにも成功した。彼は行政・司法組織を改革しつつ厳格な統治を進め,対外的には,兄ロバートを破ってノルマンディー公領を併せた。

【スティーヴン(在位1135〜54)】ヘンリ1世には男子がなく,娘マティルダを後継者に定めたが,彼の死後,貴族らは女性の君主をきらい,甥のスティーヴンを王に擁立した。この結果,国内はマティルダ支持派とスティーヴン支持派に二分され,内乱もおこって,ノルマン朝の集権的国家体制は崩れていった。スティーヴンの死後,マティルダの子でプランタジネット家のヘンリ2世が新王朝を開き,ノルマン朝は1世紀たらずで終焉した。