●ノルウェー
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面積約32万平方km。人口約420万人。首都オスロ。立憲君主国で,現国王はオーラフ5世。ノルウェーという国名は沖合を北上するヴァイキング時代の交易路“北の道”に由来する。本土はスカンディナビィア半島の西岸沿いに南北約1,800km,東西6.3〜430kmと細長く連なる。また氷河の強力な浸蝕力により形成されたフィヨルドで複雑な様相を呈する海岸線の総延長は約2万1,000kmにも達する。ソヴィエト・フィンランド・スウェーデンと国境を接し,その長さは2,555kmである。気候は地域によりかなり異なるが,本土の最北端が北緯71度8分という位置のわりには,沿岸部を洗う暖流と西風のおかげで,総じて温暖であり,海も凍結しない。内陸部に入るにしたがい,低温少雨となる。オスロは年平均気温5.4度,年降水量約740mm,ベルゲンはそれぞれ7.2度,1,950mmである。人種は北ゲルマン系のノルウェー人が大部分を占めるが,北部地域には少数のラップ人やフィン人が住んでいる。ノルウェーには現在文法・語彙などが著しく異なるボークモールとニュノルスクという2種類の言語が存在する。近代ノルウェー語にあっては,19世紀にいたるまでノルウェー語色を帯びたデンマーク語いわゆるリクスモールのみが使用されていた。しかし19世紀前半のロマン主義は自国の古代とその民族との文化への関心を覚醒させたが,さらにノルウェーではそれが民族の特性を有する普遍的なノルウェー語をつくろうとする動きにまで発展した。その結果,1852年,オーセン(1813〜96)によって古ノルウェー語にきわめて近い西ノルウェーの方言を基準とするランスモールと呼ばれる言語が創作された。19世紀末にはランスモールも公認され,1929年の国会決議でリクスモールはボークモール,ランスモールはニュノルスクと呼ばれることになった。ボークモールは東ノルウェーや都市で使用され,より口語的で,多数の借用語(とくに中世低地ドイツ語)を包含している。他方ニュノルスクは西ノルウェーの農民のあいだで使用され,保守的で,きわめて純粋なノルウェー語である。第二次世界大戦後はニュノルスクを使用する人口・地域とも減少傾向にある一方,両者の融合も進行している。【王国の成立と発展】ヴァイキング時代の幕開けを告げる793年のイングランドにあるリンディスファーン修道院の襲撃はノルウェー人によるものといわれている。この時代ノルウェーでは小王国が群雄割拠しており,こうした小王国から主として西方へ向け,ヴァイキング遠征が行われた。ノルウェー人はその後シェトランド諸島・オークニー諸島・ヘブリジース諸島を占領,さらにアイスランドやグリーンランドに植民した。890年ごろからハラルド美髪王(在位890ごろ〜930ごろ)による国家統一が開始された。10世紀中ごろ以降王位継承をめぐる戦いがたびたびおこり,これにデンマーク王が介入,一時はデンマーク王の支配も受けた。しかしオーラヴ=トリッグヴェソン(在位995〜1000)のもとで再統一された。次の聖オーラフ(在位1015〜28)はキリスト教の普及と王権の強化につとめたが,クヌード大王に破れ,ノルウェーは彼の北海帝国の一部となった。しかしクヌードの死後まもなく独立を回復した。1066年9月ハラルド苛烈王(在位1047〜66)がイングランドで戦死し,この時期をもってヴァイキング時代はほぼ終焉した。1130年代からは王位継承をめぐり内乱状態に陥ったが,1184年即位したスヴェッレ王(在位1184〜1202)が教会勢力を抑えて統一を回復した。その後ノルウェーは内乱期独立状態にあったシェトハンド・オークニー・ヘブリジースの各諸島を1209年に,さらにグリーンランドとアイルランドを1264年までに統治下に置き,北欧最強の海上勢力としての地位を築いた。1260年世襲王制が導入され,翌年即位したマグヌス6世法律改修王(在位1261〜80)は1274年全国法を制定した。この時代からバルト海南岸のドイツ諸都市との交易も活発化した。1319年ノルウェーはマグヌス=エリックソン(1319〜55)のもとでスウェーデンと同君連合を形成し,これは1343年まで継続した。1349年ベルゲンに上陸した黒死病はこの国に深刻な打撃を与え,これ以降ハンザ同盟・スウェーデン・デンマークなどの外国勢力がノルウェーの国政に決定的な影響力をもつにいたった。1376年デンマーク人皇女マルグレーテとホーコン6世(在位1355〜80)との一人息子オールフがデンマーク王に,つづいて1380年のホーコン6世の死によりノルウェー王位についたことで,以後400年以上存続することになるデンマーク・ノルウェー連合国が成立した。
【デンマークとの連合時代】1387年オーラフが急死し,ポンメルンのエリック(在位1389〜1442)が王位を継承,1397年北欧3国の連合いわゆるカルマル連合が成立した。1400年代を通じてノルウェーの顧問会議は自国の利益の擁護につとめ,自国人による統治を要求したが,徐々にデンマークの影響力が増大した。1536年クリスティアン3世が選出されたさい,ノルウェーの大司教は独自の国王の擁立を試みたが,失敗に終わり,クリスティアン3世はノルウェー王として顧問会議を廃したので,ノルウェーはデンマークの属国の地位に甘んじることになった。また翌年の宗教改革はデンマークの支配をさらに強化するものとなった。1600年代のデンマークとスウェーデンとの一連の戦争は,ノルウェーにも少なからず影響を及ぼした。1611年〜13年のカルマル戦争ではフィンマルクを,1657年〜60年のカール=グスタフ戦争ではボーフースレーンを失った。1660年デンマークに絶対王制が導入されると,ただちにノルウェーにも導入された。1700年代にはノルウェーの人口が増大し,富も蓄積された。オーストリア継承戦争・七年戦争・アメリカ独立戦争などにおいては,デンマーク・ノルウェーは中立を維持しながら交戦国との通商を行い,莫大な利益をあげたが,とくにノルウェーの海運業の飛躍はめざましいものがあった。しかしフランス革命につづくナポレオン戦争では,当初中立を宣言していたデンマークが1807年ナポレオン側につくと,イギリスは経済封鎖でこれに対抗したので,ノルウェーは破滅的な被害を受け,ノルウェー人のあいだでデンマークに対する不満が急速に高まっていった。1814年のキール条約でノルウェーはデンマークの支配を離れ,スウェーデンと連合を形成することになったが,フェロー諸島・アイスランド・グリーンランドといったノルウェーの古来の属領は,デンマーク領のままであった。
【スウェーデンとの連合時代】ノルウェー国民はデンマーク王のノルウェー放棄を承認したが,スウェーデンへの割譲には憤激した。そこで1814年4月エスボルで憲法制定議会を開催し,同時にデンマーク王フレデリック6世のいとこクリスティアン=フレデリックをノルウェー王に選出した。その結果スウェーデンとのあいだに戦いがおこったが,まもなくノルウェーはアイスボル憲法の遵守の確約を取りつけたのち,スウェーデン王を迎え入れ,スウェーデンとの同君連合を正式に結成した。1870年代に入ると自由主義者の知識人スヴェルドゥルップがノルウェー国民の利益擁護を掲げて,農民層を支持基盤としながらも各種の社会層をも含む「左翼党」を結成し,1884年首相となり,次々と自由主義的改革を断行した。1887年にはノルウェー労働党も結成された。1890年代に入ると,外交方針やスウェーデン−ノルウェー共同領事館制をめぐる対立が顕著になった。このころ世界第3位の海運国に成長していたノルウェーは,自国の領事館の設置を希望し,ノルウェー議会がノルウェー領事館設置に関する法案を採択したが,1892年オスカル2世(在位1872〜1905)はスウェーデン政府の支持を得て,この法案への署名を拒否した。そこで軍事衝突が懸念されたが,ノルウェーが譲歩し,合意に向けて交渉が開始された。しかしスウェーデンがノルウェー領事館はスウェーデン外務省に帰属すべきである,との主張に固執したため,1905年交渉は決裂,同年6月7日ノルウェー国会は両国の連合の解消を宣言,8月13日の国民投票で圧倒的多数の賛成を得てこれが承認され,ノルウェーはエイスボル憲法を基礎とする新憲法下で立憲君主国となった。
【単独王国としての歩み】第一次世界大戦ではドイツの無制限潜水艦作戦で商船に甚大な損害を被りつつも,中立国として莫大な利益を収め,工業や海運業が引きつづき順調な発展を遂げた。戦後労働党が国会で大きな勢力をもち始め,1935年には農民党との連立政権を誕生させ,各種の社会政策を推進した。第二次世界大戦が勃発すると,ノルウェーは中立を宣言したが,1940年4月9日ドイツ軍が上陸した。国王ホーコン7世(在位1905〜57)と政府はこれに激しい抵抗を試みたが,同年6月には中止して祖国を離れ,ロンドンに亡命政府を樹立,ここから抵抗連動の指揮をとった。1945年5月7日ドイツ占領軍が無条件降伏し,13日にはオーラフ皇太子(現国王オーラフ5世)が亡命政府閣僚を伴い帰国し,つづいて6月7日国民の歓呼のなかホーコン7世が帰還した。ドイツ占領中首相としてナチスに協力したクイスリングは5月9日逮捕され,10月24日に処刑された。第二次世界大戦での中立政策による苦い経験から,ノルウェーはスウェーデンの提案による王国の“北欧防衛同盟”に関心を示し,1948年オスロでこの構想について北欧外相会議が開催されたが,スウェーデンとノルウェーとの利害の相違が露呈し,この構想は実現をみなかった。そこで1949年ノルウェーはデンマークと同様北大西洋条約に署名し,西側陣営の一員として歩くことを選択した。他方国際連合の原加盟国として,国連に対する貢献は非常に顕著である。国連の初代事務総長はノルウェー人のリーであった。また国連の平和維持活動に対しても,ほかの北欧諸国同様その協力ぶりには目をみはるものがある。1959年ヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)に加盟した。さらに拡大 EC の成立のさい,これへの加盟をめぐり1972年に国民投票が実施されたが,53.5%の反対により,加盟は見送りになった。国内では1950年代,1960年代の経済は順調な成長を遂げ,1970年代の世界的不況下にあっても,ノルウェーは比較的早期に不況の克服を成し遂げた。というのも1967年以降北海油田が続々と発見され,有数の石油産出国に転じたためであった。ノルウェーは現在北欧諸国中最も良好な経済状態にあるといえよう。
【宗教】キリスト教は,商業活動やヴァイキングなどでキリスト教徒と接触したノルウェー人によって本国にもたらされた。10世紀から11世紀にかけて,大西洋上の島々に建設されたノルウェー人ヴァイキングの国家や植民地が次々にキリスト教化された。10世紀中ごろにはイングランドから宣教師が渡来した。1030年ごろキリスト教国となり,オーラフ=キューレ王時代(1066〜93)にはニダロスとベルゲンに,1100年代前半にはオスロとスタバンゲルにも司教座が設置され,1152年ニダロスは大司教座に昇格した。12世紀初頭からは修道院も建設され始め,教区教会の数も1200年ごろには950に達した。1537年にはデンマーク王クリスティアン3世による宗教改革が強行された。現在福音ルーテル派が大多数を占める。
【文学】ノルウェー最初の文学というべきルーン銘文は,1,000程度発見されているが,その大部分は11世紀ないしそれ以後のものである。ノルウェー中世文学としては,アイスランド人が著したノルウェーの歴史を扱った“王のサガ”があり,そのなかでスノッリ=ステュールルソンのノルウェー王朝史『ヘイムスクリングラ』は最高傑作である。また13世紀の『王の鑑(かがみ)』も文学的価値の高い作品である。デンマークとの連合や宗教改革により,ノルウェーは文化的に沈滞した時代を長く経験した。クリスティアン1世(在位1450〜81)以降王は公文書をデンマーク語で書いた。印刷術が導入されたのは,1643年のことであった。1500年〜1700年で最も重要な作家は,ノルラン地方の農民や漁民を描写した牧師ダス(1647〜1707)である。17世紀末以降ノルウェー人がコペンハーゲンで大学教育を受ける傾向がますます顕著になった。1700年代コペンハーゲンを中心に活躍し,多くの喜劇を書き“デンマークのモリエール”と称され,かつ歴史学でも多大の貢献を成したホルベア,ルードヴィヒ(1684〜1754),才能富かな劇作家のヴェッセル(1742〜85)やエーヴァル(1743〜81)はノルウェー人である。1814年デンマークとの連合が解消されたのち,国民詩人ヴェルゲラン(1808〜45)の出現により,ノルウェー文学は新たな段階を迎えた。ロマン主義主潮のなかで,アスビョルンセン(1812 〜85)とモー(Jφrgen Mmoe, 1813〜82)は地方の古い伝説や民話を集めた民俗学的労作を発表,さらに独学の人オーセンは方言の収集や研究を通してランスモール,すなわち新しいノルウェー語創作に決定的な役割を演じた。イプセン(1828〜1906)とビョルンセン(1832〜1910)は時を同じくして登場したノルウェー文学界の巨人であり,彼らの活躍は戯曲を中心に多方面に及んだ。ビョルンセンは1903年ノーベル賞を授与された。この二人につづいてヒェラン(1849〜1906)やリー(1833〜1908)が小説の領域で活躍した。彼らは自然主義文学の4大作家と称されている。ハムセン(1859〜1952)は1920年にノーベル賞を受賞した20世紀ノルウェー文学界で最も著名な作家であり,女流作家ウンセット(1882〜1949)は,ノルウェー文学上の最高傑作の一つといわれる14世紀前半を舞台にした叙事的3部作で,1928年ノーベル賞を受けた。
【芸術および学術】絵画ではムンク(1863〜1944)が世界的名声を得たヨーロッパ印象派の代表的人物である。彫刻ではオスロのフログネル公園を飾る多数の作品の製作者ヴィーゲラン(1869〜1943),音楽の分野ではロマン派の作曲家グリーク(1843〜1907)が知られている。ノルウェー最初の大学は,1811年クリスティアニア(現在のオスロ)に創立された。学術探検では,グリーンランドの横断とエスキモー人の研究,そしてフラム号での北極探検で世界的名声を博したナンセン(1861〜1930),1911年同じくフラム号で南極点に到達したアムンゼン(1872〜1928),コンチキ号やラー号で太平洋・大西洋横断を成し遂げたヘイエルダールがいる。
〔参考文献〕角田文衛編『北欧史』1970,山川出版社
百瀬宏『北欧現代史』1980,山川出版社
フレデリック=デュラン,毛利三彌・尾崎和郎訳『北欧文学史』1977,白水社
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