●野馬追 のまおい
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相馬野馬追祭の本来の意義は相馬氏の鎮守である妙見社に野馬を捕えて献ずることにある。野馬追の起源は古く相馬氏の祖平将門が下総葛飾郡小金原に馬を放し置き,年に数度関八州の兵を集め甲冑に身を固め,野馬を敵に見立てて追うことによって兵馬の訓練を兼ねたと伝える。鎌倉時代平泉の藤原氏を攻めて功をたてた師常は頼朝より奥州相馬の土地を与えられ,1323年(元亨3)重胤のとき下総から奥州相馬(福島県)に移ったさい,鎮守妙見神も遷座し,したがって祭としての野馬追も当地に移した。明治時代までの野馬追は山野に自然に放牧されていた野馬を捕える行事であったが,明治以降放牧は廃止されたので祭の形式を変え,第1日の7月23日は太田・小高・中村の妙見3社は騎馬のお供をつれて原町に集まり,第2日の24日は原町の雲雀ケ原で神旗争奪戦を行い,第3日の25日には小高神社で野馬を捕えて献ずる野馬懸けの神事がある。旧相馬全領をあげての祭である。