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●農民運動 のうみんうんどう

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 農民運動とは,農民層がその生活,社会的な環境,経済的な条件の向上・改善を図るために搾取者に対して組織的なさまざまな抵抗を行い闘争することである。つまり,封建制社会における領主の貢租徴収や強制に対する農奴の闘争,資本制農業のなかで地主に対して行う農民の闘争のいずれも含めた運動であるが,狭義の解釈は資本主義社会において,封建地代を脱却した独立した小商品生産者の運動を意味している。資本主義の発展は,領主と農民といった封建社会の2大階級から,農業資本家・地主・農業労働者の3階級を形成することになり,農民層の分解という事態をもたらした。この農民層の分解は,資本主義化の発達が異なるそれぞれの国においては格差があり,農民運動のありようも各国の歴史的推移のなかで相違がある。

【日本の農民運動】日本では土一揆百姓一揆などの“一揆”の抵抗・闘争の歴史があるが,明治維新後の農民運動にも引き継がれており,維新後に百姓を弾圧するための政策に対して一揆や暴動が全国に広がった。この闘争によって定免制は検見(けみ)制に改められたりした。そして1871〜72年(明治4〜5)にかけて米販売の自由化などそれまで百姓を縛りつけてきた封建的な制度が撤廃されることになった。その後政府は軍隊・警察力の強化によって一揆や暴動を弾圧しようとしたが,西南の役(1877)による不況のために農民は打撃を受け,鍬先騒動(福岡県)・小作争議(島根県)・稲株騒動(福岡県)・偽桝騒動(山口県)などの闘争がおこり,福島事件・秩父騒動などにつながっていった。日清戦争以後に増加した小作人はしだいに組織的な運動を展開しはじめ,農民組合などを結成して多岐にわたる闘争を行った。第一次世界大戦(1914)が勃発したころには,資本家と労働者の格差がますます広がり,農村においても小作人は地主に対して小作料減免のための闘争を繰りひろげ,農民運動は社会主義運動・労働組合の結成・労働者階級闘争とともに全国的に激化の一途をたどった。富山県の米騒動などをきっかけにして,労働者階級と農民は提携しながら闘いを強化した。1922年4月9日賀川豊彦・杉山元治郎らによる日本農民組合が創立され,小作料永久3割減といった闘争へと拡大されていった。政府はこれにたいして小作調停法(1924)を公布し,動揺する地主階級を擁護しながら,小作人への弾圧を各府県令改正などによって開始した。1926年3月には,日本農民組合農民労働党の結成にこぎつけたが,まもなく社会民衆党日本労農党に分裂した。1928年には労働農民党・日本労働組合評議会・日本無産青年同盟の結社は禁止された。だが,農民運動は全国農民組合が結成されることで再び高揚した。その後日中戦争の時代状況のなかで,政府は農業報国会を結成して,農民団体を吸収した。こうして農地制度改革同盟の解散によって農民組合は解体されたが,小作争議はなおも各地で,厳しい弾圧にもかかわらず行われた。戦後は日本農民組合が再建され,農民運動は活発に盛り上がったが,農地改革などの実施によって農民運動は目標を失い,以降は急速に衰退した。

【イギリスの農民運動】イギリスでは14世紀後半から15世紀前半にかけて行われた全国的規模での金納化によって,農民は封建的な制度から自由になり,独立自営農民がしだいに成立するようになった。清教徒革命(17世紀)においては,自営農民はクロムウェルの軍隊の中心となって活躍した。清教徒革命によって,近代的な所有権が確立され資本主義的な生産様式は農業に影響を与えはじめた。改良農法がすすめられ,アーサー=ヤングは近代農法の祖といわれた。しかし,なお農業の変革は充分ではなく,18世紀中葉のイギリス農業は,ほとんどの土地が不耕作土地所有者のものであった。そして,貴族と大農と借地農,さらに小屋住農と階層化されていた。18世紀後半におこった第2次エンクロージャー運動は,耕地・共有地の改良をはじめ,技術革新を著しく進めて,イギリス農業を資本主義的な農業体制へと導く力となった。農業の資本主義化はイギリスにおいて最も特徴的であり,小商品生産農民が弱いために労働者階級運動のなかに農民運動は組み入れられる形となった。

【フランスの農民運動】フランスの農民運動は,アンシャン=レジーム末期,フランス革命に際して,小農が自らの共同体的諸権利を保持するために,共有地の分割化や農業機械の使用に対する反対などをはじめとする抵抗として広く展開された。こうしたかたちの農民運動は,南部フランス,中・西部フランスの,小土地を所有する農民が多い地方が中心であった。フランスの農業の変化は,1850年ごろから資本制経済の波のなかで,小農が経済的に追いつめられていくことによって始まった。さらに長期的な農業恐慌(1875〜96)は小農をますます圧迫する結果となった。国家は農業を保護するために外国からの輸入農産物に関税を課したりしたが,小農を中心とした農業組合を結成しようとの働きかけが農民側からおこり,1884年に農業組合が実現した。小農民はこの組合によって,農民運動を勃興することができるようになった。農業機械の協同購入・技術革新などが組合によって進められ,やがてそれは農業協同信用組合運動へと展開されるにいたった。その後,租税の増加などで,農民運動は社会主義的な運動とも関わり,労働者の闘争と提携する方向へと進んだ。ナント会議(1894)はそうした農民運動の新しい始動を象徴するものであった。こうしてフランスの農民運動は,社会主義の影響を吸収しながら紆余曲折をへて,20世紀に入ってフランス労働総同盟(CGT)と関係を結ぶにいたり,その地歩を固めるにいたった。

【ドイツの農民運動】ドイツにおける農業は,16世紀から18世紀までエルベ河の東西両地域によって異なっていた。グーツヘルシャフト(オストエルベ)とグルントヘルシャフト(ヴェストエルベ)が代表的なそれぞれの農業制度であり,西では1525年の農民戦争の敗北で農業は停滞し,東(グーツヘルシャフト)では,世襲的隷民・賦役義務・農民追放などで,農民は圧迫され悲惨な状況を強いられていた。このような状態は,18世紀末から19世紀初頭に,ナポレオンの侵入や穀物価格の高騰などによってしだいに変化し,農民解放を準備することになった。すでに18世紀後半には,農業の大規模経営と合理化を進めなければならない,という主張があり,農業研究や農業教育機関,また農業団体が現われてきた。1888年にはドイツ農業実験所協会が創設されている。このような農学や研究機関の勃興によって,農業技術や経営も改善された。

【中国の農民運動】中国の農民運動といえばまず太平天国運動があげられる。だが,それは上帝会といった宗教的な色彩のもとでなされた闘争であり,教徒も,義和団の乱,紅槍会などの組織的な農民運動もその延長上にあったといえる。その意味では,中国の近代的な農民組織は,1921年9月に中国共産党などによって結成された中国農民協会がそれである。この組織の活動によって中国の農民運動は強化され全国各地に次々におよんでいき,地主や農村の支配階級を打倒し,小作料を引き下げさせ,土地の取り上げをおさえて農民による武装化を成し遂げた。全国農民協会のはじめての会長となったのは毛沢東である。1927年には,毛沢東を代表とする中央農民運動講習所が設けられて,農民の自衛軍や運動の指導者が育成されることになり,労働者の反帝国主義とともに,農村では封建的な農業制度を打倒するための農民運動が進められた。1927年の上海クーデタ以後,蒋介石の南京国民政府は革命勢力の弾圧に乗り出して農民協会も崩壊させられたが,農民の武装蜂起による四省の暴動によって新しい農民の権力を樹立した。日本の占領時代には農民運動は徹底した統制のためおこりえなかったものの農民パルチザンはあくまでも秘密組織をつくって抵抗した。それはやがて中華人民共和国を樹立させる力でもあった。