●農書 のうしょ
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農書とは農業技術に重点を置いた書物のことで,日本においては17世紀から19世紀末(江戸時代から明治30年ごろまで)の欧米農学の知識を含まない日本固有の農業を対象としている。中国においては,日本の『古事記』に先だつこと200年,6世紀中ごろにカシキョウ※注1※によって『斉民要術』が編述されている。日本ではこれにおくれること1,000年で,17世紀に初めて出現した。【農書に影響を与えた本草書】農書の成立前に展開した本草学は,農書に種々の影響を与えた。近世本草学の原典は1576年(万暦6)明の李時珍によって著された『本草綱目』で,1607年(慶長12)に林羅山が長崎で入手し,これを抜写して国訓を付し『多識篇』(5巻)と題し出版した。本書と10世紀に編纂された『倭名類聚鈔』とによって,1624年ごろから1672年ごろ(寛永〜寛文)にかけて初期の本草書が出現した。そのうちで次に示す4人の業績が異色である。[1]1673年(寛文13)に成立した向井元升の『庖厨備用倭名本草』は『倭名類聚鈔』に依拠し,『多識篇』で補い,さらに両書に欠けたところを補い,誤りを考証した。[2]黒川道祐は1663年(寛文3)に『芸備国郡志』,1676年(延宝4)に『日次記事』,1684年(貞享1)に『雍州府志』を著し当時の農業知識を残している。[3]野(人見)必大は1697年(元禄10)に『本朝食鑑』を刊行したが,本書は名のごとく食品を中心とし,庶民の日常食物についての医学的見地から好悪を論じ,さらに産地などをさぐり,のちに展開する「物産学」に先鞭をつけた意義は大である。[4]貝原益軒は1687年(貞享4)『日本歳時記』,1694年(元禄7)『花譜』,1704年(宝永1)『菜譜』などを著し,また個人的接触を通じて日本最高の農書である宮崎安貞の『農業全書』に影響を与えている。
【寺院(僧)と農書】農書への影響は本草書のほかに中世から近世の初期本草学と同時代に,寺院あるいは僧の果たした役割も大きい。農業技術上は作物伝播では茶・タバコ・木綿・紙・漆などが寺院から発生した地域がある。また一向宗は木曾川・矢作川・大和川・紀の川などの大河川の乱流地帯に道場や寺院を設置し,治水のための土木工事につとめ,矢作川沿岸村からは「黒鍬」という技能的専用土木労働者を成立させている。これらの技術は記録として残っていないが,口伝として伝承され,のちに『百姓伝記』『耕稼春秋』『地方の聞書』『地方竹馬集』などの優れた農書を生み出している。これから代表的農書を19点ほど選び世紀別とし,著者・成立年代・対象とした地域・内容の概略を述べ,終わりにその世紀の農業の動向と農書との関連を検討する。
【17世紀の農書】[1]『清良記』土井水也著。1629〜54年(寛永6〜承応3)。伊予西部。伊予の戦国武将土居清良の一代記である『清良記』30巻中の巻7が農書で「親民鑑月集」といわれる。日本最古の農書で,農耕技術・経営・農民生活を中心に記述している。[2]『百姓伝記』著者未詳。1673〜1683年(延宝1〜天和3)。遠江と三河の農業技術を中心とし,気象・暦・治水・生活まで幅広く,四季の観察や水との闘いは異色である。江戸時代の小農の再生産構造の記述は著書のうちで最高の水準である。[3]『会津農書』佐瀬与次右衛門著。1684年(貞享1)。岩代会津地方。水田・畑作・農民生活。田畑の土による作物の品種の選定と,東日本の近郊農業技術に特色がある。[4]『地方の聞書』(別名『才蔵記』)大畑才蔵著。1688〜1703年(元禄年間)。紀伊の紀の川沿岸橋本地方。治水・土地の良否の判定法・農具など22項目からなる。農村の営農の実体,米1石の生産費計算を検討している。著者は土木技術者なので,普請・貯水池・新田・灌漑・検見等の計算にその才を現している。[5]『農業全書』宮崎安貞著。1697年(元禄10)。近畿から西方に重点を置いている。農事総論,五穀や果実をはじめ当時のあらゆる作物の栽培法を述べ,最も体系的な農書である。とくに西国の近郊農業の記述は圧巻である。享保・天明・文化・安政・慶応と,江戸時代に5回も重版され,以後の農書や農政に大きな影響を与えている。17世紀の農政は,太閤検地以来とられた政策によって家父長的経営(親方)に従属した名子や被官を小農民として自立させた。しかるにその経営は安定したものでなかった。経営が小規模で営農条件が悪く,さらに年貢が高率で,凶作にあうと餓死したり,走百姓となって退転したり,身売りしたりして農村の荒廃は目にあまるものがあった。かかる現象は1603年(慶長8)ごろから1643年(寛永20)ごろまで半世紀間,後進地において顕著であった。[1][2][3]の農書はこうした地域に出現したもので,小農の苦境を踏まえて,小農技術の確立をめざして著述されたものである。一方畿内などの先進地では,農具・肥料・品種などが小農技術として定着し,さらに排水のよくない湿田を乾田化して地力の増進をはかり,稲作を増収させ,裏作をして耕作面積を広げ,綿(田畑輪換)や菜種などの商品作物を導入して,自給農業から集約的な商業的農業へと農法の転換が生じた。さらに大坂や京都の近郊では近郊農業が成立し野菜などが有利に販売された。[4][5]とくに[5]の農書はかかる地域を対象として著述された。
【18世紀の農書】[1]『耕稼春秋』土屋又三郎著。1707年(宝永4)。加賀金沢周辺。農事暦や田畑作物の耕作法・田の面積計算・農具解説・城下町近郊農業など。[2]『民間省要』田中丘隅著。1721年(享保6)。江戸周辺。本書は地方書で,課税・治水・宿駅などを解説しているが,江戸周辺の農業が述べられ,農書的側面を具備している。[3]『老農類語』陶山訥庵著。1722年(享保7)。対馬。領内八郷の米麦・野菜・麻・綿などの栽培を述べ,焼畑農業を記しているのが特色。[4]『農作自得集』森広伝兵衛著。1762年(宝暦12)。出雲松江周辺。稲と綿を中心とする古老からの聞書。山陰の綿作に特色がある。[5]『家業考』丸屋甚七著。1764〜71年(明和年間)。備後高田郡。月別の農作業(農事暦)や台所の心得として料理・葬式の慣行などを記述している。[6]『耕作噺』中村喜時著。1776年(安永5)。陸奥岩木川下流の津軽平野の風土・気候・年間作業計画,稲作の全作業を説き,津軽の冷害対策に重点を置いている。[7]『農業弁略』河野徳兵衛著。1787年(天明7)。甲斐八代郡小石和筋夏目原村周辺。『農業全書』を基礎として田畑作物の耕作法を説き,販売作物としてタバコを重視している。[8]『農稼業事』児島如水・徳重著。1793年(寛政5)。近江湖東。稲の雄穂・雌穂を図説し,掛干しの効用を指摘し,稲作技術を扱い,さらに綿作について記述している。[9]『私家農業談』宮永正運著。1789年(寛政1)。越中砺波郡下川崎村周辺。稲作に重点を置きつつも,畑作にも触れ,とくに茶は雪国での栽培製茶の特色を記述している。18世紀初頭に出現した[1]は多分に17世紀的特色を有する。この書を生んだ加賀藩は近世初頭に地方知行制をとり,給人による収奪が強く,農民は困窮した。そこで藩は「改作仕法」によって給人を無力化せしめた。また寛文末年西回海運の展開によって米価が上昇し,農民も有利となり,稲作が集約化し,小農自立が促進された。また城下町金沢の周辺には近郊農業が成立した。本書はこのような状況を背景として成立した。かかる繁栄は全国的にみると長くつづかなかった。小農自立の促進のために近世初期から進められた新田開発によって,耕地面積が1717〜20年代には,17世紀初頭の約2倍となり,米の過剰現象を生じ米価だけが低落して「米安諸色高」となった。このような状況が生じ始めたころに[2]が出現した。本書において,20〜30年前に比べ肥料代が7倍,農具が2倍,労賃が3倍にもなり,人を傭い,馬を飼育して手作したのでは採算がとれないと嘆じている。この期の他の農書も,米に重点を置き,米価の低落を増収によってトータルの収入増をねらうか,生産費を低下させて純収益を高めるか,この二つのどちらを選ぶかに苦悩のあとがみられる。
【19世紀の農書】[1]『農業余話』小西篤好著。1828年(文政11)。摂津嶋下郡佐保村。陰陽五行説の学理によって農業および作物・家畜・病害虫・雑草について解説した。[2]『農業自得』田村吉茂著。1840年(天保11)。下野河内郡。現場での作物観察・気候観測にもとづき立地条件に即した栽培法を記す。稲と畑作22種を取り上げた。[3]『家業伝』木下清左衛門著。1842年(天保13)河内中河内郡八尾木村。畿内の綿作を中心とする営農記録。綿・稲・麦・根菜・豆類・芋類の月別作業と栽培上の注意点を子孫に伝えるための記録。綿作記録は貴重。[4]『軽邑耕作鈔』淵沢円右衛門著。1847年(弘化4)。陸中九戸郡軽米。畑作14,野菜40,水稲・水田稗を加え55種の作物を取り扱い,飢饉に備えての食糧確保を重視している。[5]『農稼録』長尾重喬著。1859年(安政6)。尾張海西郡大宝新田。輪中農法による稲の耕作法を解説し,湿田の土地改良に特色を有する。18世紀に出現した「米安諸色高」現象は,19世紀になると,ますます深刻となり,[1]や[5]の農書は,それに対処するため生まれたものである。さらに畿内では重要商品であった綿が,全国的に拡散して綿花が低落したのに対し,肥料代が高騰した。[3]の農書が出現した背景にそれがあった。米や綿の停滞は先進地であった畿内の地盤沈下となったが,地方においては綿・養蚕・タバコ・茶・紙・櫨・藺草・甘蔗などが商品作物としてつくられ,いわゆる“地方の時代”を迎えるわけであるが,そこで活躍したのが大蔵永常である。永常には未刊5種を合わせて35種の著作がある。そのうち著名なものだけをあげてみよう。『農家益』(ほかに後編・続編)『農具便利論』『除蝗録』『油菜録』『綿圃要務』『製油録』『農稼肥培論』『広益国産考』。
〔参考文献〕『古島敏雄著作集』(第5巻)1975,東京大学出版会
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