●農耕儀礼 のうこうぎれい
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農作物の生産過程に従って,その折り目ごとに行われる祭祀儀礼をいう。それぞれの農耕民族はふつうは複数の重要な農作物をもっているが,それらにあわせて個別に儀礼を行う。ただ,その個別な儀礼が相互に影響を与えあうので,現実の農耕儀礼はたいへん複雑な様相を呈している。そしてときには,ある農耕儀礼が,どの作物に対して,いかなる意図で行われているのか,明確にわからなくなっている場合もある。たとえば,8月15日の「お月見」は,研究者によって里芋の収穫祭であろうと解釈されている。その理由は,このお月見を「芋名月」と呼ぶ地方があり,また里芋を供えている地方が多いからである。しかし,祭祀の行われるときに,季節の農作物を供える事実は,他の祭祀にもみられることなので,考えなおすと,お月見を里芋の収穫祭といいえる根拠が薄くなってくる。また現在の農民のなかから,お月見を里芋の収穫祭だと信じているものをみつけだすことはむずかしい。つまり,農耕儀礼というものには,このような不明瞭性が伴う場合が少なくない。しかし基本的には,農民は農作物を植えるにあたって,その作物の無事成長を祈り,収穫時においては,その恵みを感謝する祭事を行っていると考えてまちがいはない。ところで,わが国では稲が主要な農作物でありつづけた。そこで日本民俗学が農耕儀礼を分類する場合,中心を占める水田稲作の儀礼を「稲作儀礼」とし,その他の畑で栽培される作物の儀礼をまとめて「畑作儀礼」と呼ぶ習慣ができあがっている。【稲作儀礼】わが国では稲は春に種をまき,秋に収穫する。ただ稲作儀礼は,実際の農作業が始まる前の冬の期間から行われている。通常,稲作儀礼は次の五つに分けて理解されている。[1]正月とその前後の予祝儀礼,[2]春の初めの播種儀礼,[3]春の終わりの田植儀礼,[4]夏の成育および災害よけのための呪術的儀礼,[5]秋の収穫儀礼,この五つである。予祝儀礼は1年間の農作業が災害にたたられることなく無事に終わり,農作物が豊かに実ることを願って行う模擬儀礼のことである。田植えのまねをする庭田植,田打ちから収穫にいたる1年間の農作業を模擬的に行う田遊び。また,小さく切った餅やだんごをヌルデや榎・柳などの枝にさして農作物の実り豊かな形をつくる餅花の習俗などがある。播種儀礼としては,苗代田の水口にツツジやフジなどの季節の花木を立て,焼米を供えて田の神を迎える水口祭りがある。田植のときには,田の神を改めて田に迎える初田植(さおり)を行う。さらに夏になると,害虫を防ぐ虫送りや,雨乞い・風祭り・日乞いなどの儀礼を行うことになる。そして秋になり,収穫期を迎えるのである。秋の収穫祭には穂掛けと刈り上げの2段階の祭りがある。穂掛けは稲刈りを始めるにあたって,その田の初穂を家の神などに供える行事であり,これはいわば神嘗祭にあたる。そして刈り終わってから,農神・作神とみなされている神に新穀を献じる。この新嘗祭にあたるのが刈り上げ祭りである。
【畑作儀礼】わが国では稲作が中心であったために,畑作の儀礼は副次的位置に置かれていた。また研究者の関心も低かったので,畑作儀礼についての体系的な論考はほとんどない。しかし,現実には農民は,麦・粟・稗をはじめ,さまざまな芋類や豆類を食していたのであり,それらは農民にとっては大切な食べ物であった。そこで注意深く観察すると,麦の予祝儀礼や,粟穂・稗穂という豊作祈願の物作りの習俗,柿や栗・桃などの果樹を刃物で傷をつけて果熟を約束させる成木責めなどさまざまな正月ごろに行われる儀礼をみつけることができる。また,芋や豆・大根などの収穫儀礼の報告もある。ところで,これらの農耕儀礼がおもに行われる場は村と家に分けられる。そして,村全体で行うのがもともとのかたちであったろうと研究者は判断している。また,農耕儀礼は農作物の成育にあわせて行われるのが本来であり,月日が決定して行われるようになれば,それはもはや農耕儀礼ではなく,年中行事というべきであるといって,両者の区別を主張する者もいる。