●農業立法 のうぎょうりっぽう
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国の農業政策を遂行するために整備された法律群をいう。明治農政の起点は「地租改正条例」「地租改正施行規則」「地方官心得書」(1873,明治6)の三つからなる地租改正法による地租改正であり,これによって土地の私的所有権が認められたが,ついで強行された紙幣整理による松方デフレ期には農民層の階層分解が進行し地主制の確立をみた。その後の農政の基本は地主との共生関係に立つものである。その主要なもの,不動産金融制度の創設をめざした日本勧業銀行法・農工銀行法(1896,明治29),耕地の区画整理と灌漑排水事業の奨励のための耕地整理法(1899,明治32)が整備され,さらに団体制度に関する法律として農会法・産牛馬組合法・産業組合法(1899)・畜産組合法(1915,大正4)がつくられた。また,在来農法の改善では,府県農事試験場国庫補助法(1899,明治32)によって府県農事試験場に対する助成が行われ,農会組織による農事指導体制がととのえられ,いわゆる明治農法が確立した。この結果日露戦争後の産業革命に伴う食糧増産政策に役立った。日露戦争の農村危機をへて後退期に入った地主制は第一次世界大戦後の小作争議の高揚によりいっそうの動揺をみせ,治安維持法による対策とともに小作調停法(1924,大正13)にもとづく裁判所による小作調停による乗り切りがはかられ,この一方で自作農創設維持補助規則(1926,大正15)を公布した。
大正期に入ると朝鮮・台湾からの移入米が増加し,米価が低下したことをきっかけに米価調節令(1915,大正4)が公布され,その後農業倉庫業法(1917,大正6)の制定をへて,米騒動の教訓から米の需給関係の調節を目的とする米穀法(1921,大正10)へと近代的な米価政策の体制が整備された。
昭和初年の恐慌に際しては,農村漁村経済更生計画助成規則・小麦増殖奨励規則・米穀貯蔵奨励規則(1932,昭和7)が公布され救農政策がとられた。昭和6年の満州事変以後経済の統制が強められ米価政策の強化をめざす米穀統制法(1933,昭和8)が制定され,また該時期米に次ぐ農産物である繭・生糸に対しても糸価安定施設法(1936,昭和11)によって統制の網がかけられた。戦争の拡大とともに統制が強められ耕作者の安定と農業生産力の増進を目的とする農地調整法(1938,昭和13),小作料額の引き上げを制限する小作料統制令(1939,昭和14),農地価格の公定(臨時農政価格統制令,1941,昭和16)など一連の法的規則により地主制はいっそう後退したが,それを決定的にしたのが,食糧の国家管理を目的とする食糧管理法(1942,昭和17)である。
第二次世界大戦後の占領下における農政の目標は農村の民主化と食糧の確保であり,前者は1945年(昭和20)10月に公布された自作農創設維持特別措置法と農地調整法改正案によって強行され,地主制は解体した。さらに農地改革によって創設された自作農の転落防止の目的で農業協同組合法・農業災害補償法(1947,昭和22)が公布された。後者の食糧確保としては強権供出のための食糧緊急措置令(1946,昭和21)・食糧確保臨時措置法がつくられ,また,長期低利の農業金融として農林漁業資金融通法(1951,昭和26)が制定され政府資金の融通が開始された。これら一連の戦後改革を受け自作農体制を将来にわたり維持することをうたい1952年(昭和27)農地法が公布された。
戦後復興から高度成長の開始に伴う産業構造の変化を背景として,農業生産の選択的拡大・農産物の価格安定・農業構造の改善を理念とする農業基本法(1961,昭和36)が制定されたが兼業農家の急増などが進行し,1962年(昭和37),68年(昭和43)の改正につづき1970年(昭和45)には農地法の大幅改正が行われて賃貸借規制が大幅に緩和され,1975年(昭和50)の農業振興地域整備法改正によって流動化はさらに促進された。農業基本法制定後10年間の高度成長のいっそうの進展を背景として離農促進をうちだした総合農政の登場をみた。