●ネーデルラント
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低地地方を意味するネーデルラントは,ヨーロッパ大陸北西端に位置し,アルプスのなかから発しドイツ西部を南から北に流れるライン川,北フランス山地から発するマース川,そしてスヘルデ川の河口を含み,北海をはさんでバルト海・大西洋そしてイギリスと相対している。ネーデルラントにはオランダ(4万1,160平方km,人口約1,400万人)・ベルギー(3万500平方km,人口985万人),そしてルクセンブルク(7,600平方km,人口36万人)の3国家が含まれている。この地域は沿岸部と内陸丘陵部に二分できるが,全体的には平担であり,この地域の最高地点も約300mにすぎない。
ここはユーラシア大陸の北西端に位置し,かつメキシコ湾流の影響により冬も比較的寒くはなく夏は涼しい。しかし北極からの寒気団とヨーロッパ大陸内部からの熱気団とがこの地域で出合うことが多いために気候は不安定であり,ネーデルラント絵画にもしばしば表されているように,雲が多く雨足も速い。ネーデルラント沿岸部は,前述3大河川の吐き出す土砂の堆積によってつくられたのであり,ここに住む人々は絶えず水を排除しながら生存のための干拓を,陸地をつくりださねばならなかった。この水との戦いは,ザイデル海が封じ込められエイッセル湖となって世紀の大干拓事業が行われている20世紀後半になってもまったく変わらずにつづけられている。
ネーデルラントでヨーロッパの山と川は北海とバルト海にも出合う。このような地理的条件は古来から,南から北上する人間と文化そして北から南下しようとする人間と文化にとっての接触点となっていった。
10世紀ごろからヨーロッパにおいて商業の復活が盛んになってくるが,この地方の西部フランデルンは遠隔地貿易の拠点となり,ブリュッヘにはヨーロッパ最高の毛織物やヴェネチア,フィレンツェからの大商人の支店が置かれた。そして16世紀からはアントワープが自由港として世界中から人と財貨と思想とを集めた。オランダ連邦共和国の最盛時にはアムステルダムが当時世界最大の加工貿易港都市として有名であった。ネーデルラントの地理的条件から由来する,このような流通の結節点的役割は産業国家が輩出してくる19世紀以降でもまったく変わらない。
オランダやベルギーは現在かつての豊かな植民地をほとんど手離した。しかしながらロッテルダムやアントワープは,ヨーロッパ共同体の確立・発展においてエネルギー・化学工業基地として,その重要性は高まりこそすれ減りはしない。ユーロポルトの名をもつロッテルダムはヨーロッパ共同体の物質的交通を代表し,ブリュッセルに置かれたヨーロッパ共同体本部は再生西ヨーロッパの精神的交通を象徴している。
ゲルマン系文化とラテン系文化が接触するこの地域では単一民族単一文化の国では想像もできないような問題が発生する。言語の違いに表される複数文化の衝突であり,一種の文化戦争でさえある。ベルギーがオランダから独立する1830年代でもこのゲルマン的文化圏とラテン的文化圏との対立がみられたのであるが,1960年代からは再びベルギー内部でオランダ語を守るフラマン語圏地域とフランス語を話すワロン語圏地域との緊張対立は国家を二分しかねない勢いをもっていた。このような文化的対立はネーデルラントをかたちづくるオランダでもルクセンブルクでもおこる可能性がある。このような多様な文化を背景にする人間集団を統制するには17世紀のオランダ人エラスムスの主張した寛容と自重こそ必要とされるであろう。
〔参考文献〕栗原福也『ベネルクス現代史』1982,山川出版社