●ネッケル
ヨーロッパ スイス連邦 AD1732
1732〜1804 ジュネーブの銀行家。フランスの財政家・政治家。ジュネーブ近郊のコッペの生まれ。父は法学教授。15歳のとき,パリで銀行員。1765年,両インド会社理事として腕を振るい,1773年『コルベール讃辞』でアカデミー賞を獲得。サロンに百科全書派を集めたが,重農主義者の穀物自由取引には反対し,国家の価格統制や輸出禁止を支持。1776年,外国人・プロテスタントとしては異例の抜てきで国庫局長,翌年には財務長官に任命された。テュルゴー前財務総監が租税の合理化によって国庫収入をはかったのに対し,外国銀行からの借入金に頼る方策を採ってアメリカ独立戦争介入の費用を捻出。総収税官の数を削減して,国家財政の請負的性格をそごうとした。州三部会とは異なるタイプの地方議会の設置は高等法院の抵抗を受けたが,地方名士の掘りおこしに役立った。1781年,財務報告書を公表したが,宮廷反対派の圧力でいったん辞職。1787年,カロンヌと財政をめぐり論戦。1788年8月,ブリエンヌの推挙で復職し,全国三部会の召集方式を,第二次名士会に諮問した。第三身分議員の倍増を決心し,1789年6月の国民議会宣言も追認する姿勢をとったが,事態の責任を宮廷保守派から追求され7月11日罷免。このためバスティーユ占拠がおこった。復職後,立憲体制は受け容れたが,アッシニア紙幣の発行には反対し,立憲議会と対立。1790年9月,最終的に辞職し,コッペに引退。著作活動を通してフランス革命を批判した。1764年牧師の娘と結婚したが,娘は女流作家スタール夫人として有名。