●ネウストリア王国 ネウストリアおうこく
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メロヴィング朝フランク王国の西半を占める分国。マース川・ロワァール川・大西洋に囲まれた地域をふくむ。511年クローヴィス死後,分割相続法の慣習にもとづいて,フランク王国は4分割された。末子クロタール1世(在位511〜561)は王国を一時再統一したが,6世紀後半からアウストラシア・ネウストリア・ブルグントへの3分国化が始まり,561年クロタール1世の子ヒルペリヒ1世がネウストリア王位(在位561〜584)についた。しかし分国内および他分国とのあいだの国王ならびに貴族勢力の対立抗争により,王権が弱体化するとともに貴族勢力が強力になった。とくにアウストラシアの宮宰職を世襲化したカロリング家の台頭はめざましく,ネウストリアの宮宰も,687年テルトリ(サン=カンタン付近)の戦いでカロリング家のピピンに敗死した。ピピンは全王国の宮宰職を一手に握った。